御書大好き!!

御書を拝読して感動したことなどを書きます。

2022-03-01から1ヶ月間の記事一覧

阿仏房尼御前御返事 1307頁 (新版御書1729頁) 55歳御作

建治元年(1276年)九月三日、身延で著され、佐渡の阿仏房の夫人・千日尼に与えられたお手紙です。 謗法の浅深・軽重によって罪報はどうなるのか、との千日尼の質問に答えた御返事で、別名を「畷(なわて)堅固御書」と言います。 (262) 阿仏房尼御前御返…

妙法曼陀羅供養事 1305頁 (新版御書1726頁)

佐渡で著され千日尼に与えられた御消息です。 (261) 妙法曼陀羅供養事 文永10年(ʼ73) 52歳 (千日尼) 妙法蓮華経の御本尊、供養いたしました。 この曼陀羅は、文字は五字七字であるけれども、三世の諸仏の御師であり、一切の女人の成仏の印文である。冥…

慧日天照御書 1297頁 (新版御書2164頁)

前後が欠落した御消息で、御術作の年月や宛名は不明です。ご真筆の存在も不明です。 釈尊の幼名を日種、成道してからは慧日(大聖尊)といい、この国を日本といい、主を天照(太神)という、と述べています。 (449) 慧日天照御書 もって一閻浮提の衆の眼を…

兵衛志殿御書 1095頁 新版御書1492頁 57歳御作

弘安元年(1278年)九月九日、身延で著され、池上宗長に与えられた御消息です。別名を「親父(しんぷ)入信御書」といいます。 文字通り池上兄弟の父・康光が入信したことを喜ばれたお手紙です。 新版御書1492ページ (178) 兵衛志殿御書(親父入信の事) …

兵衛志殿女房御書 1094頁 新版御書1482頁 

建治三年(1277年)三月二日、大聖人が56歳の時に身延から池上宗長の夫人に送られたお手紙です。別名「儒童菩薩御書」 前に仏器を供養し、今回は尼御前が身延へ参詣するのに大事な馬を遣わして乗せていった志を喜び、儒童菩薩と瞿夷の故事を通して夫人の…

上野殿御返事 1537頁 (新版御書1864頁)56歳御作

別名を「梵帝御計事」といいます。 南条時光が御供養とともに、信心をやめさせようと意見する者がいることを報告したことに対する御返事です。 概略を載せておきます。 尹吉甫(いんきっぽ)【周の宣王の臣下で、異民族である玁狁を征伐した】をだました後妻…

本尊供養御書 1536頁 (新版御書1862頁)55歳御作

南条平七郎に与えられたお手紙です。 平七郎は上野郷の南条時光の一族と思われ、成出郷で給田を持っていた武士でしたが、詳しいことはわかりません。御本尊への御供養をしたことに対して、法華経の功徳を「須弥山に近づく鳥は金色となるなり、阿伽陀薬は毒を…

九郎太郎殿御返事 1535頁 (新版御書1861頁)55歳御作

建治二年九月十五日、身延で著され、南条氏の一族の九郎太郎に与えられた御消息。 大聖人のもとへ御供養として里芋を送り届けたことに対して、身延では里芋は珍しいことを述べ、、その真心を讃えられています。 短い御書なので現代語に直しておきました。 (…

南条殿御返事 (大橋太郎抄) 1531頁 (新版御書1856頁)55歳御作

建治二年三月二十四日、身延で著され南条時光に与えられた御消息です。 別名を「大橋太郎抄」「大橋書」「報南条七郎次郎書」とも呼ばれている。 (308) 南条殿御返事(大橋太郎の事) 建治2年(ʼ76)閏3月24日 55歳 南条時光 かたびら一つ・しおいちだ・あ…

南条殿御返事 1530頁 (新版御書1855頁) 55歳御作

1855ページ 建治二年三月十八日、身延から南条時光に与えられたお手紙です。 時光が橘三郎・太郎太夫とともに御供養したことに対する御礼のお手紙です。 時光の供養が成仏の因を積んだことになると、妙荘厳王や須頭檀王の例をひいて述べられています。 (わ…

南条殿御返事 1529頁 (新版御書1853頁)55歳御作

別名を「現世果報御書」といいます。「春始書」「初春書」ともいいます。 時光の真心からの供養の功徳によって、時光自身が現世に大果報を得られるだけでなく、亡き父への追善になることを教えられています。 新版御書1853~1854頁 (306) 南条殿御返事(現…