御書大好き!!

御書を拝読して感動したことなどを書きます。

女人成仏抄    470頁  文永二年 44歳御作

爾前経では女は成仏できないと言われてきた。

どんだけ汚い命なんかと思うくらい嫌われてきた。

ドンダケ~という具体的な話も書きたいけどめんどくさいので略します。

法華経提婆達多品で8歳の竜女が即身成仏したことで、末法のわれら女性も成仏できるのですね~疑い深かった智積菩薩(別教に執着して即身成仏を信じられず)と舎利弗(小乗教の立場から女人は宝器ではなく五障の身で成仏は信じがたい)。この二人の疑いを晴らしてくれたのは文殊菩薩で、娑竭羅竜宮から帰って8歳の竜女が刹那の間に即身成仏の姿を見せたことを伝える。

「そんなん信じられんわ~」という二人に竜女が出現して「菩提を成じたことは唯仏のみが証知されるであろう。我は大乗の教えを開いて苦の衆生を度脱しよう」と語った。

舎利弗がまだ疑っていると、竜女が三千大千世界に値する一つの宝珠を仏に奉り、仏がそれを受けられた。

竜女は智積菩薩と舎利弗に、宝珠を献じたのを仏が納受したことは疾(はや)かったかと問い、はなはだ疾かったと答えると、わが成仏を観よ、それよりも速いであろう、といって、忽然のうちに変じて男子と成り成仏の相を現じた。

それを見た智積菩薩と舎利弗、及び一会の大衆は黙って信受したのであった。

 

当流の女人は外面はこれ女人なりと雖も内心は即ちこれ男子なり。(講義P111)

このように、縁に紛動されやすく、自己や家庭など目が内に向きがちな女性も、御本尊を信受して我が人生に強い主体性をもって立ち向かい、宿命転換と社会の変革にも取り組み、他者の幸福を自分のことのように祈り折伏に挑戦するとき、全く男子と変わらない人生、遊楽の境涯が開けゆくのである。

 

わたしの好きなことばが最後のほうにあった。

「阿鼻の依正は極聖の自心に処し、地獄・天宮皆是れ果地の如来なり、毘盧(びる)の身土は凡下の一念を逾(こえ)ず、遮那の覚体(※2)も衆生の迷妄を出でず。」この文は妙楽大師の金剛錍(ぺい)にある。

前半は仏界所具の九界、後半は九界所具の仏界を表す。

果地の如来とは因位の修行をして得た仏の位・境界のこと。

※びるもしゃなも毘盧遮那仏のこと、覚体とは仏の覚りの体性

地獄の衆生も国土も仏の生命の中に存在し、仏の悟りの生命も凡夫の一念の中にある。