御書大好き!!

御書を拝読して感動したことなどを書きます。

兄弟抄  1079頁 54歳御作

池上宗仲・宗長の兄弟とその嫁たちに送られた御書です。

私が学会に入会しようとしたとき、父から勘当すると言われました。その時、紹介者やB長さんが教えてくれたのが兄弟抄でした。当時早く御書を買いなさいと言われ勤行もろくにできてないようなときに既に私の手元には御書がありました。

当時教わった御書をわかりやすく編集すると:

一切は親に随うべきであるけれども、仏になる道は親が反対すれば随わないのが孝養の根本である。

魔が競わなかったら正法と知ることはできない。

仏道修行をやりきっていけば三障四魔が紛然として競い起こってくる。

 

私自らの体験がこの御書を体得させてくれました。

やればやるほど反対されたことも納得がいきました。正しいから反対されるということもよくわかりました。アパート借りて出ていけと言った父は数日後釣りから帰ると顔面神経痛になっていました。功徳と罰は歴然とありましたので、私は学会に入る前から信心の確信を得ることになりました。当時父の反対があったので御本尊は受けられず、壁に向かって勤行・唱題をしていましたが、自分の中に生命力が湧いてくる感じがあって、友達にどんどん話をして折伏していきました。なかなか入会してくれませんでしたが、自分に功徳の体験があったので、取りあえず御本尊を頂かないまま学会員になりました。当時の体験を書くとキリがないのでこの辺で置いときます。

兄弟抄は内容が色々で、とにかく魔のオンパレードで説話がたくさんあって面白い御書でもあります。是非読んでいただきたいと思います。

また、時間があったら載せようと思います。

隠士と烈士の話が面白かったです。最近私もよく夢を見るもので、烈士の夢が長すぎて笑いました・・・・

御書の本文をコピペしておきます。烈士~残念~!

西域と申す文にかきて候は月氏に婆羅痆斯国・施鹿林と申すところに一の隠士あり仙の法を成ぜんとをもう、すでに瓦礫を変じて宝となし人畜の形をかえけれどもいまだ風雲にのつて仙宮にはあそばざりけり、此の事を成ぜんがために一の烈士をかたらひ長刀をもたせて壇の隅に立てて息をかくし言をたつ、よひよりあしたにいたるまで・ものいはずば仙の法・成ずべし、仙を求る隠士は壇の中に坐して手に長刀をとつて口に神呪をずうす約束して云く設ひ死なんとする事ありとも物言う事なかれ烈士云く死すとも物いはじ、此の如くして既に夜中を過ぎて夜まさにあけんとする時、如何が思いけん烈士大に声をあげて呼はる、既に仙の法成ぜず、隠士烈士に言つて云く何に約束をばたがふるぞ口惜しき事なりと云う、烈士歎いて云く少し眠つてありつれば昔し仕へし主人自ら来りて責めつれども師の恩厚ければ忍で物いはず、彼の主人怒つて頸をはねんと云う、然而又ものいはず、遂に頸を切りつ中陰に趣く我が屍を見れば惜く歎かし然而物いはず、遂に南印度の婆羅門の家に生れぬ入胎出胎するに大苦忍びがたし然而息を出さず、又物いはず已に冠者となりて妻をとつぎぬ、又親死ぬ又子をまうけたり、かなしくもありよろこばしくもあれども物いはず此くの如くして年六十有五になりぬ、我が妻かたりて云く汝若し物いはずば汝がいとをしみの子を殺さんと云う、時に我思はく我已に年衰へぬ此の子を若し殺されなば又子をまうけがたしと思いつる程に声をおこすと・をもへば・をどろきぬと云いければ、師が云く力及ばず我も汝も魔に・たぼらかされぬ終に此の事成ぜずと云いければ、烈士大に歎きけり我心よはくして師の仙法を成ぜずと云いければ、隠士が云く我が失なり兼て誡めざりける事をと悔ゆ、然れども烈士師の恩を報ぜざりける事を歎きて遂に思ひ死にししぬとかかれて候、仙の法と申すは漢土には儒家より出で月氏には外道の法の一分なり、云うにかひ無き仏教の小乗阿含経にも及ばず況や通別円をや況や法華経に及ぶべしや、かかる浅き事だにも成ぜんとすれば四魔競て成じがたし、何に況や法華経の極理・南無妙法蓮華経の七字を始めて持たん日本国の弘通の始ならん人の弟子檀那とならん人人の大難の来らん事をば言をもつて尽し難し心をもつて・をしはかるべしや。

仏になるには絶対に魔は必要なのだと思いますね~強敵を倒さないと自分が強いかどうかわからんからね。強い魔が出て来たら悦びなさいと言われてるし。