御書大好き!!

御書を拝読して感動したことなどを書きます。

三障四魔事 兵衛志殿御返事 1090頁 54歳御作

さて、なにはさておきあなたのために第一に大事なことを申します。

正法・像法の時は、世の中もいまだ衰えることなく聖人、賢人も続いて誕生しました。

諸天も人を守りました。末法になりますと、人の貪欲が次第に深くなって、主君と臣下と、親と子と、兄と弟との諍論諍のやむときがありません。まして他人同士はいうまでもありません。

これによって諸天もその国を捨て去ったので、三災七難乃至一二三四五六七の日が出て、草木は枯れてしまい、河川は大小を問わず水が涸れ、大海は煮えたぎった油のようになり、結局は無間地獄から炎が出て上梵天まで火災が充満するのです。このようなことが起こって次第に世間は衰えていくのです。

皆人の思っていることは「子は親に従い、臣下は主君の意にかない、弟子は師匠に違背すべきでない」と。このことは賢い人も卑しい人も知っていることです。しかしながら貪欲、瞋恚、愚痴という三毒の酒に酔って臣下でありながら主君に敵対し、子供として親を軽んじ、弟子が師匠をみくびることも少しも珍しいことではなくなっている。

ただし、師と主と親とに随っては悪い時にこれを諫めるならば、かえって孝養となることは前の手紙に書いておきましたので、常に読みなさい。

 

をち給はん(退転すること)をいかにと申す事はゆめゆめ候はず(どうこういうつもりは毛頭ありませんが)但し地獄にて日蓮をうらみ給うことなかれ、しり候まじきなり千年のかるかやも一時にはひとなる百年の功も一言にやぶれ候は法のことわりなり、

百に一つ千に一つも日蓮が義につかんと・をぼさば親に向つていい切り給へ親なれば・いかにも順いまいらせ候べきが法華経の御かたきになり給へば・つきまいらせては不孝の身となりぬべく候へば・すてまいらせて兄につき候なり、兄をすてられ候わば兄と一同とをぼすべしと申し切り給へ、すこしも・をそるる心なかれ・過去遠遠劫より法華経を信ぜしかども仏にならぬ事これなり、しをのひると・みつと月の出づると・いると・夏と秋と冬と春とのさかひには必ず相違する事あり凡夫の仏になる又かくのごとし、必ず三障四魔と申す障いできたれば賢者はよろこび愚者は退くこれなり、此の事はわざとも申し又びんぎにと・をもひつるに御使ありがたし、堕ち給うならば・よもこの御使は・あらじと・をもひ候へば・もしやと申すなり。