御書でいうと2行+和歌という短い御書です。
文永12年(1275年)2月21日、身延におられた日蓮大聖人から駿河国(静岡県)の三沢小次郎に与えられたお手紙です。
三沢殿は領主という立場上とかく幕府の嫌疑を意識して、公然と音信を交わすという状態ではなく、ややもすれば大聖人から遠ざかりがちであったようです。三沢抄とこの御消息しか伝えられていないようです。私は三沢抄が大好きなので紹介しようと思いましたが、先にこの御書があったので、これも紹介しておきます。
短いので通解と和歌を書き留めます。
佐渡の国の行者がたくさんこの所(身延)まで参詣してきたので、
今日蓮が弘通する法門を彼らに説き聞かせた。したがって尽未来までの仏種になるだろう。これは皆釈尊の法恩であって、ありがたいことである。越後の国でこの歌を詠んだので書き送る。
おのずから よこしまに降る雨はあらじ 風こそ夜の 窓をうつらめ
佐渡から阿仏房はじめ沢山の熱心な信徒が日蓮大聖人を慕って身延山まで訪ねてきたことが書かれている。彼らに法門を聞かせ未来永劫の仏種になることは間違いないと言われている。
大聖人が佐渡からの帰途、越後で詠まれた和歌を贈られているが、この和歌の示すことは小次郎にとって教訓となるべき内容であったと拝される。
雨を我々の生命、風を謗法あるいは三毒等の生命の濁りに拝し、本来我々の生命は清浄であるが、誤った教えによって曲げられ、六道輪廻に陥っていく、との意味に拝することができる。また、雨を人々の心、風を良観等の邪宗の僧侶とし、人々が大聖人や門下を迫害するようになったのも、彼ら僭聖増上慢が煽動した故であると拝することもできる。いずれにしても、純真な信心を貫けば、様々な困難を乗り越えて、仏性の薫発があることは確かであり、それを妨げる煩悩や迫害に負けてはならないことを教えられているのであろう。 (以上、講義をまとめて書きました)