御書大好き!!

御書を拝読して感動したことなどを書きます。

十字御書 御書全集1491頁 新版御書2036頁

弘安4年(1281年)正月5日に身延で書かれたと推定されているそうです。

重須殿の婦人が年の初めに蒸餅や果物をご供養されたことに対するお返事です。

新年勤行会でよく読まれたことがあるし、座談会御書でもよく出てきたので、馴染みのある御書だと思います。短い御書ですが、大事なことが書かれています。

最初の一節は「正月一日は日の始めであり、月の始めであり、年の始めであり、この正月一日を正法をもって祝う人は、月が西から東に向かうにしたがって満ちるように、また日が東から西へ渡っていくにしたがって明らかになるように、徳も勝り人々にも愛されるのである。」といわれ、重須殿女房があらゆる人々から愛され慕われていくだろうと励まされています。

次からが折伏にも使えそうな大事な法門なのですが、さらっとわかりやすく書かれています。通解を若干端折りながら書かせてもらいますと:

さて、地獄と仏がどこにあるかというと、地獄は地の下にあると経文もあり、西方に仏(阿弥陀仏)がいるという経もある。ところが詳しく探求してみると、私たちの五尺(約1.5m)の身の内に存在すると説かれている。父を侮り母を疎かにする人は地獄がその心の中にある。たとえば蓮の種の中に花と実が見られるようなものです。仏も私たちの心の中にいるのです。たとえば石の中に火があり、珠の中に財があるようなものです。私たち凡夫はまつげが近くにあるのと虚空が遠くにあるのとは見ることができません。私たちの心の中に仏がおられるのを知らないでいたのです。

ただし、疑問に思うことは「私たちは父母の精子卵子が変じて人間となったのであるから、三毒の根本であり、淫欲の源である。どうして仏がおられることがあろう」と疑問に思うのだけれども、また繰り返し繰り返し考えてみると、その道理もなるほどと思われます。蓮は清らかなものですが、泥から生えます。栴檀は香りの良いものですが、大地から生じます。桜の花は趣のあるものですが、木の中から咲きます。楊貴妃は美人ですが身分の低い女性の腹から生まれています。月は山の端から出て山を照らします。禍(わざわい)は口から出て身を破ります。幸いは心から出て自身を飾るのです。

今正月の始めに法華経を供養しようと思われる御心は、木から桜の花が咲き、池から蓮のつぼみが出、雪山の栴檀の双葉が開け、月が始めて出るようなものでしょう。今、日本の国は法華経を敵として、禍を千里の外から招き寄せています。このことから考えてみると、今また法華経を信じる人は幸いを万里の外から集めることでしょう。影は体から生じるものであり、法華経を敵とする人の国は体に影が添うように禍がくるでしょう。法華経を信ずる人は栴檀によい香りが備わっているようなものです。またまた申し上げましょう。

という御書ですが、言葉の美しさに感動しますね~

憎悪や怨みの心で言ったこと、身に行ったことは自分の生命に悪業を刻み、やがて自分を苦しめる果報を招き寄せる。反対に、人を思う慈悲の心、正法を信受する正義の心で言ったこと、行ったことは善根となって生命に刻印され、やがて幸福なる果報をもたらす。

幸福を万里の外から集めまくっていく信心をしたいものです。学会員をいじめたり、悪口を言った知り合いのことも、皆学会のみかたになっていくように、そして、幸せになるよう祈ってあげなくては!