御書大好き!!

御書を拝読して感動したことなどを書きます。

陰徳陽報御書 1178頁 (新版御書1612頁)57歳御作

四条金吾に与えられたお手紙です。

このお手紙は全部で12枚あったようですが、前の方の9枚は散失し、残った3枚が京都の妙覚寺に1枚、妙顕寺に2枚現存しているそうです。

「なによりも人にとって不孝がもっとも恐ろしいことである(通解)」という書き出しで、金吾に「あなたの兄と弟は自分から法華経の敵になって、あなたから離れてしまったのだから、彼らが不孝の者であって、あなたの身に罪はない。女たちに対してはあなたが世話をしてあげなければ、きっと不孝にあたるであろうと思われる」と言われています。

「陰徳あれば陽報あり」という故事をひき、所領加増等の功徳は地道な実践の結果であるとして、成仏の大果報も必ずあると激励されています。

「陰徳があれば陽報がある」これは生命内在の法則なのです。陰徳というのは単に人の目に映らないところで積む徳ということではない。仏法の鏡に照らして善の行動を行っていくならば、たとえ人の目に見えるものであれ、見えないところのものであれ、それが因となってその人自身の生命に蓄積されていく。生命内在の因であるゆえに外に見えることはないから陰徳となる。そして因果俱時の原理からみるとすでにそこには陽報がある。

(だから陰徳積んでるはずなのに、なかなか陽報の結果がないな~なんて思うのは浅はかなのですね。陰徳を積んだ瞬間に陽報は生まれているのです。目に見えた功徳でもない限り凡夫は信じがたいものがありますが、そこスッと腑に落ちる人は仏じゃないですか。なんでも身口意の三業は生命に刻まれる宿命で、結果も因果具時で生命にあるんですから。けど、いつか目に見えるようになって出てくる陽報も確かにありますけどね)

 

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陰徳陽報御書

 弘安2年(ʼ79)4月23日 58歳 四条金吾

 なによりも人には不孝がおそろしきことに候ぞ。とののあに・おととは、われと法華経のかたきになりて、とのをはなれぬれば、かれこそ不孝のもの。とののみにはとがなし。おうなるい(女類)どもこそ、とののはぐくみ給わずば、一定不孝にならせ給わんずらんとおぼえ候。所領もひろくなりて候わば、我がりょうへも下しなんどして、一身すぐるほどはぐくませ給え。さだにも候わば、過去の父母定めてまぼり給うべし。日蓮がきせいも、いよいよかない候べし。いかにわるくとも、きかぬようにておわすべし。

このことをみ候に、申すようにだにもふれまわせ給うならば、なおなおも所領もかさなり、人おぼえもいできたり候べしとおぼえ候。さきざき申し候いしように、「陰徳あれば陽報あり」と申して、皆人は主にうったえ、主もいかんぞおぼせしかども、わどのの正直の心に主の後生をたすけたてまつらんとおもう心ごうじょうにして、すねんをすぐれば、かかるりしょうにもあずからせ給うぞかし。これは物のはしなり、大果報はまた来るべしとおぼしめせ。
 また、この法門の一門、いかなる本意なきことありとも、みずきかずいわずしてむつばせ給え。大人にいのりなしまいらせ候べし。上に申すことは私のことにはあらず。外典三千・内典五千の肝心の心をぬきてかきて候。あなかしこ、あなかしこ。恐々謹言。
  卯月二十三日    日蓮 花押
 御返事