この題号の元となったところは1180頁3行目です。
「根深ければ枝栄え、源遠ければ流れ長しと申して、一切の経は根浅く流れ近く、法華経は根深く源遠し、末代悪世までも尽きることなく栄え、流布していくと天台大師は言われている。」
※「根と源」は諸仏の智慧、「枝と流れ」はその偉大な力用を表している。源遠長流とは経の表す真理が深く偉大であれば、未来に長く、また広く人々を導き救うことができるということである。
御書本文が結構難しいと思いますので、通解を参考に現代文に直して載せます。
※は講義にあった説明です。
銭一貫文をいただき、頼基からのご供養であると法華経の御宝前(御本尊)に申し上げました。必ず遠くは教主釈尊・並に多宝・十方の諸仏、近くは日天月天の宮殿からも御照覧あることでしょう。
※釈迦・多宝・十方の諸仏とは仏界であり、その御照覧がある、とは成仏という永遠の幸福が与えられるということである。それは現世利益をはるかに越えたものであり、生命の本源の幸せである。故に「遠くは」と言われたのである。
これに対し、日月とは日天・月天で天界を指す。天界の宮殿から照覧しているということは現世における幸せであり、物質的な豊かさのことである。故に「近くは」と言われるのである。
さて、人が世の中で勝れようとすると、賢人・聖人と思われるような人々も皆そねみ、ねたむようである。まして常人(並みの人)は言うまでもない、漢の元帝の后(きさき)の王昭君を三千人のきさきが是をそねみ、帝釈天の九十九億那由佗のきさきは憍尸迦(きょうしか)をねたんだ。日本では前(さき)の中書王(兼明親王)を小野の宮の大臣(おとど)がこれをねたみ、北野の天神(菅原道真)を左大臣藤原時平がねた(嫉)んで是を天皇に讒奏(ざんそう)して筑紫の国に流したのである。
これらのことをもって考えてごらんなさい。主君・江馬入道殿の御内(みうち)は始めは広かったが、今は狭くなっている。しかも一族の子息たちは多くいらっしゃる。年来の家来も大勢おられるので、ちょうど池の水が少なくなれば魚さわがしくなり、秋風が立つと鳥がこずえをあらそうのと同じことであるので、どんなにか御内の人々があなたをそねんでいることであろう。さらにあなたは度々の主君の仰せに背き・折々の御心にそわなかったからどれほど多くの讒言(ざんげん)があったであろう。たびたびいただいたの所領を返上して今又所領をいただいたということは、これほど不思議なことはない。これひとえに陰徳あれば陽報ありとはこのことである。
主君に法華経を信じさせようとされた真心の深いことによるのであろうか。
阿闍世王は仏に敵対していたが、耆婆大臣(ぎばだいじん)のすすめによつて法華経を信ずるようになり寿命を延ばして天下を保つことができた。妙荘厳王は二人の息子のすすめによつて邪見をひるがえされた、あなたの場合も同じである。あなたのすすめによつて今は主君の江馬氏も今は心を・やわらげられたのであろう。これもひとえに貴辺の法華経(御本尊)への御信心が深いからである。
根ふかければ枝さかへ源遠ければ流長しと申して一切の経は根あさく流ちかく法華経は根ふかく源とをし、末代・悪世までも・つきず・さかうべしと天台大師は言われている。この法門にを信心した人は多くいるけれども・公私ともに大難がたびたび重なってきたので一年・二年はついてきたが後々には皆、ある人は退転し、ある人は反逆して法華経に敵対してしまった。またある人は身は退転していないようだが、心の中ではすでに疑いをいだき、あるいは信仰の心だけはあっても身は退転してしまっている。
釈迦仏は浄飯王の嫡子で一閻浮提(世界)を知行する事・八万四千二百一十の国の大王であった。したがって一閻浮提の諸王が頭を傾けて敬意を表し、召しつかっていた人は十万億人であった。そのような御身でありながら十九才のとき、浄飯王宮を出られて檀特山(だんとくせん)に入って十二年修行したのである。その間お伴の人はわずか五人であった。所謂(いわゆる)拘鄰(くりん)と頞鞞(あび)と跋提(ばつだい)と十力迦葉(じゅうりきかしょう)と拘利太子(くりたいし)である。此の五人も六年目には二人去り、残りの三人も後の六年に釈尊を捨てて去ってしまった。釈尊はただ一人残り修行し遂に仏に成られたのである。法華経は又これにもすぎて人が信じ難い経である。経文に難信難解とあるのはこのことである。また仏の在世よりも末法は大難重なるのである。これを耐えて実践する者は、一劫の間仏を供養する功徳よりも勝る、と法師品に説かれている。仏滅度後・二千二百三十余年になる。インドで一千余年が間・仏法を弘通せる人・伝記にのってはっきりしている。漢土の一千年・日本の七百年間の弘法者も皆、目録に載っているけれども仏(釈迦)のように大難にあった人は少ない。我も聖人・我も賢人とは言うけれども、「況滅度後」の経文通りに大難にあった人は一人もいない。竜樹菩薩・天台・伝教こそ仏法のための大難にあえる人々ではあるが、それでも仏説には及ばない。それは時代が早すぎて法華経のひろまるべき時に生まれあわせなかったからである。
今は時すでに後五百歳・末法の始めである。日(太陽)でいえば五月十五日(陰暦の夏至)・月では八月十五夜(陰暦の中秋の夜)のごとき時である。天台・伝教は末法よりも先に生まれられた。今より後に生まれくる人も、その時を失したことを後悔するであろう。日蓮が出現して魔軍の大陣すでに破れた。余党は物の数ではない。今こそ仏が予言した「後五百歳・末法の初・況滅度後」の時に当たるのであるから、仏語が虚妄でないならば、一閻浮提の内に必ず聖人が出現していることであろう。
聖人が出現する前兆としては「一閻浮提第一の合戦が起こるであろう」と経文に説かれているが、すでに合戦も起こっているのであるから、すでに聖人は一閻浮提の内に出で現されているであろう。
きりん(麒麟)出現したので孔子を聖人であることを知った。また鯉社(りしゃ)が鳴って聖人が出現することは疑いないことである。仏(釈迦)が出現したときには栴檀の木が生い、それによって仏が聖人と知ることができた。また老子は二と五の文を蹈んでいたので聖人と知ることができたのである。
※「二と五の文を踏んで」とは一方の足の裏にニの字、もう一方の足の裏に五の字が書かれているということが史記老子伝にある。
今末法の法華経の聖人について、何をもって知ることができるのであろうか。経(法師品第十)に「能(よ)く此の経を説き・能く此の経を受持する人は仏の使である」八巻・一巻・一品・一偈を持つ人、ないし題目を唱える人は如来の使(つかい)である。最初から最後まで生涯妙法を捨てずに、大難を受けても受持し通す人は如来の使である。
日蓮の心は全く如来の使ではない。凡夫だからである。ただし、三類の大怨敵にあだまれて二度の流難にあったので如来の御使に似ている。心は三毒ふかく一身は凡夫であるけれども、口に南無妙法蓮華経と唱えているので如来の使に似ている。過去を尋ねると不軽菩薩に似ている。現在を訪ねてみれば刀杖瓦石の難に少しも違っていない。未来は「当詣道場」(当に道場に詣でることは)疑いない。これ(日蓮)を養ってくださる人々は霊山浄土にともに住む人であることは間違いない。申し上げたい事が多くあるのですが、このへんで止めておきます。あとは心をもって推量してください。
ちご(稚児)の病気もすっかりよくなり、心から悦んでおります。又大進阿闍梨の死去の事、末代のぎば(耆婆)もあなたには及ぶまいと皆人舌を巻いて感心している。私もその通りだと思っています。三位房の事やさう四郎の事も、全く割符を合わせたようだと語り合っています。日蓮の死生をあなたにおまかせします。全く他の医者は頼まないつもりでおります。
弘安元年戊寅(つちのえとら)九月十五日 日蓮 花押
四条金吾殿
感想:(日蓮大聖人から「自分の命の生死をすべてあなたに任せる」とまで言ってもらえた金吾はさぞ嬉しかったのではないかと思いますが、重大な使命を与えられたことに感激し、更に信心も医術も磨いたのではないでしょうか。この御書も沢山の故事や例え話で話がよくわかるように書かれています。凡夫だから日蓮は仏の使ではない。題目を唱えているから仏の使に似ている、などと謙遜しておっしゃられていますが、本当は自分以外にはないとわかっておられるのに、はっきり断言していただかないと・・・「ほんだら誰やねん?」ってなりますよね(笑)そこはつっこまなくていいところですけど)