御書大好き!!

御書を拝読して感動したことなどを書きます。

日妙聖人御書 1213頁 51歳御作

文永九年五月二十五日、鎌倉から佐渡まで大聖人を訪ねてきた女性に与えられた御書です。頼るべきもののいない寡婦の身で、幼子を連れて、野を行き山越え盗賊や、どんな野獣が出てくるかわからない道を行き、勇気があるだけではなかなか行けない長旅をしてきた女性に、これでもかというくらいピッタリの仏法逸話の数々を書かれた御書です。身命を惜しまず法を求めるという信心の姿勢に、日本第一の法華経の行者の女人であるとし、不軽菩薩の義になぞらえて「日妙聖人」という名前まで授けられました。

諸御抄でも「三世を知るを聖人という」と述べられて、聖人の呼称は仏と覚知された大聖人御自身にのみ用いられていて、この女性に日妙と名づけ、聖人の称号で呼ばれたということはどれほど深い尊敬の心を込められているか察するにあまりある。

南条時光に対してすら、宛名に「上野聖人殿」といったん書かれながら、消して「上野賢人殿」と改められている。南条時光ほどの人に対してさえ、聖人の称号を用いられなかったのである。

 

初めに、楽法梵志・釈迦菩薩・雪山童子・薬王菩薩等の身命を惜しまずに法を求めた例をあげて、仏道修行のあり方を教えられています。次に法華経を信受する功徳は凡夫が仏になれることであると明かし、時に叶う仏道修行のあり方を示されています。 

 

(1216頁から1217頁の最後のところまでの御書本文です。)[ ]は現代語訳です。

然るに玄奘は西天に法を求めて十七年・十万里にいたれり、伝教御入唐但二年なり波濤三千里をへだてたり。
 此等は男子なり・上古なり・賢人なり・聖人なり・いまだきかず女人の仏法をもとめて千里の路をわけし事を、竜女が即身成仏も摩訶波闍波提比丘尼の記莂にあづかりしも、しらず権化にやありけん、[仏・菩薩が仮に現れた姿であったかもしれない]又在世の事なり、男子・女人其の性本より別れたり[本性はもとより分かれている]・火はあたたかに・水はつめたし、海人は魚をとるに・たくみなり・山人[かりうど]は鹿をとるに・かしこし、女人は物をそねむに・かしこしとこそ経文には・あかされて候へ、いまだきかず仏法に・かしこしとは。女人の心を清風に譬えたり風はつなぐとも・とりがたきは女人の心なり、女人の心をば水にゑがくに譬えたり、水面には文字とどまらざるゆへなり、女人をば誑人[人をたぶらかすもの]にたとへたり、或時は実[真実]なり或時は虚[虚偽]なり、女人をば河に譬えたり・一切まがられる・ゆへなり[一切曲がっているからである]、而るに法華経は・正直捨方便等・皆是真実等・質直意柔輭等・柔和質直者等と申して正直なる事・弓の絃のはれるがごとく・墨のなはを・うつがごとくなる者の信じまいらする御経なり、糞を栴檀と申すとも栴檀の香なし、妄語の者を不妄語と申すとも不妄語にはあらず、一切経は皆仏の金口の説・不妄語の御言なり、然れども法華経に対し・まいらすれば妄語のごとし・綺語のごとし・悪口のごとし・両舌のごとし、此の御経こそ実語の中の実語にて候へ、実語の御経をば・正直の者心得候なり、今実語の女人にて・おはすか、当に知るべし須弥山をいただきて大海をわたる人をば見るとも此の女人をば見るべからず、砂をむして飯となす人をば見るとも此の女人をば見るべからず、当に知るべし釈迦仏・多宝仏・十方分身の諸仏・上行・無辺行等の大菩薩・大梵天王・帝釈・四王等・此女人をば影の身に・そうがごとく・まほり給うらん、日本第一の法華経の行者の女人なり、故に名を一つつけたてまつりて不軽菩薩の義になぞらへん・日妙聖人等云云。
 相州鎌倉より北国佐渡の国・其の中間・一千余里に及べり、山海はるかに・へだて山は峨峨・海は濤濤・風雨・時にしたがふ事なし、山賊・海賊・充満せり、宿宿とまり・とまり・民の心・虎のごとし・犬のごとし、現身に三悪道の苦をふるか、其の上当世は世乱れ去年より謀叛の者・国に充満し今年二月十一日合戦、其れより今五月のすゑ・いまだ世間安穏ならず、而れども一の幼子あり・あづくべき父も・たのもしからず・離別すでに久し。
 かた・がた筆も及ばず心弁へがたければとどめ畢んぬ。[あれこれと筆も及ばないし、心も分別しがたいのでここで終わっておこう]

(★青字のところは鎌倉から佐渡への道のりがどれだけ大変なものかを表わされています。)