御書大好き!!

御書を拝読して感動したことなどを書きます。

臨終一大事 妙法尼御前御返事 1404頁 57歳御作 32巻

32巻にあります。

講義内容は

1⃣ 臨終の大事を明かす(1404頁初~1404頁12行)

2⃣ 白色の相の果報を推す(1404頁13行~1404頁16行)

3⃣ 法理の上から題目の功徳を述べる(1404頁16行~1405頁8行)

4⃣ 妙法による成仏の確かな事を明かす(1405頁8行~終)

 

弘安元年(1278年)7月14日、妙法尼が夫の臨終の際の様子を報告したことに対するご返事です。その相から亡夫は天界に生じているであろうかとされ、臨終間際まで唱えていた題目の功徳によって成仏は間違いなく、また、そのような人と夫妻になった妙法尼の成仏も疑いないと激励されている。

4⃣の範囲の御書を引用します。(大体わかりやすい現代文に変えています。)

白粉(おしろい)の力は黒い漆(うるし)を変えて雪のように白くします。須弥山に近づく衆色は皆金色になります。、法華経の名号(題目)を持つ人は一生乃至過去遠遠劫の黒業の漆変じて白業の大善となる、ましてや無始以来の善根は皆変じて金色となるのです。
 それゆえ故聖霊は最後臨終に南無妙法蓮華経と・唱えられたのですから、一生ないし無始以来の悪業変じて仏の種となっているのです。煩悩即菩提・生死即涅槃・即身成仏と申す法門なり、このような人の縁の夫妻(つま)になられたのですから、又女人成仏も疑ないでしょう。もしこの事が虚事(嘘・うそ)であるならば釈迦・多宝・十方・分身の諸仏は妄語の人・大妄語の人・悪人である。一切衆生をだまして地獄におとす人でしょう。提婆達多は寂光浄土の主となり教主釈尊は阿鼻大城の炎にむせばれるでしょう。日月は地に落ち、大地はくつがへり、河は逆に流れ、須弥山はくだけおちるでしょう。日蓮の妄語ではありません。十方三世の諸仏の妄語なのです。どうしてそのようなわけがありましょうか。詳しくはお会いした時に申し上げましょう。

 

この御書ですごいなと思ったのは第2章の講義の範囲になりますが、死んだときの顔の色が白白と白、赤白端正、黒豪とかいろいろあって、死んだその先どういう世界に今故人がいるのかわかるっていうようなことが書いてあったことです。

「この人は(妙法尼の夫は)天界に生まれているのでしょうか」と言われています。

自分が死んだときに死相が悪くて恥ずかしい思いをしなくていいように題目をいっぱい唱えておこうと思います。

 

私的に興味があった箇所です。太字はすごいなと思った言葉です。この範囲の講義がよかったので、また後ほど載せたいと思います。

 しかるに今の御消息に云くいきて候し時よりも・なをいろしろくかたちもそむぜずと云云、天台の云く白白は天に譬ふ、大論に云く「赤白端正なる者は天上を得る」云云、天台大師御臨終の記に云く色白し玄奘三蔵御臨終を記して云く色白し、一代聖教を定むる名目に云く「黒業は六道にとどまり白業は四聖となる」此等の文証と現証をもんてかんがへて候に、此の人は天に生ぜるか、はた又法華経の名号を臨終に二反となうと云云、法華経の第七の巻に云く「我滅度の後に於て応に此の経を受持すべし、是の人仏道に於て決定して疑有ること無けん」云云、一代の聖教いづれいづれもをろかなる事は候はず、皆我等が親父・大聖教主釈尊の金言なり皆真実なり皆実語なり、其の中にをいて又小乗・大乗・顕教密教・権大乗・実大乗あいわかれて候、仏説と申すは二天・三仙・外道・道士の経経にたいし候へば・此等は妄語・仏説は実語にて候、此の実語の中に妄語あり実語あり綺語もあり悪口もあり、其の中に法華経は実語の中の実語なり・真実の中の真実なり、