御書大好き!!

御書を拝読して感動したことなどを書きます。

諸人御返事 1284頁 57歳御作

1278年3月21日、身延におられる大聖人が鎌倉在住の弟子檀那に与えられた御消息です。背景には鎌倉で日蓮大聖人と真言・禅などの諸宗の僧を公場で対決させようとする動きがあったようで、そのことを鎌倉から急使をもってお知らせしたことに対するお返事が本抄です。

これを読むと、やっと公場対決で正しい仏法を民衆に知らせることができる時が来たと喜んでおられることがわかります。実際には行われなかったですが。

諸人御返事

 三月十九日の和風(つかい)並びに飛鳥(ふみ)同じく二十一日戌の時到来す、日蓮一生の間の祈請並びに所願忽ちに成就せしむるか、将又五五百歳の仏記宛かも符契の如し、所詮真言禅宗等の謗法の諸人等を召し合せ是非を決せしめば日本国一同に日蓮が弟子檀那と為り、我が弟子等の出家は主上上皇の師と為らん在家は左右の臣下に列ならん、将又一閻浮提皆此の法門を仰がん、幸甚幸甚。
 弘安元年三月二十一日戌時 日 蓮 花押
 

 

通解:

三月十九日の使いと便りは二十一日の夜の8時ごろ着いた。

日蓮がこれまで一生の間に祈念し、願ってきたことはたちまちのうちに成就することであろう。はたまた、五五百歳の仏の予言が符号することはあたかも割符のようである。

所詮、真言禅宗等の謗法の法師等を召し合わせ、(日蓮と対決させ)法門の是非を決せられるならば、日本国は一同に日蓮の弟子檀那となり、わが弟子等の出家は天皇上皇の師となり、在家は左右の大臣に連なるであろう。はたまた、全世界の人びとが皆この法門を仰ぐようになるであろう。喜ばしいことである。喜ばしいことである。

 本当に当時から邪宗の連中は小賢しくも公場対決を避けるので、なかなか世間では正しい仏教というものが何かわからないのですね。折伏するしかない、ということです。