前に書いたことのある日女御前御返事(御本尊相貌抄)と、最近ほんとに大地震が多いので、瑞相御書ももう一度戸田先生の講義を読み返しました。
大阪の中之島公会堂での御書講義なのですが、ほんとに面白いことをよく言われるので笑っちゃうんですけど、戸田先生の講義は面白いだけじゃなくてすごくよくわかる。例え話が卑近なところから出てきますしね。夜中に読む時なんか、一人で声を殺して爆笑してます。
今度ブログに追加で戸田先生の講義を挿入しようと思います。日蓮大聖人御書講義よりはわかりやすいです。
瑞相御書がわかりにくかったんですけど、前より理解出来たと思います。去年の4月にブログに書いてますけど、よくわからなくて(は〜?)って書いてました(笑)
御本尊相貌抄は目からうろこが落ちました。知らんかった~って思ったことがあるので、日を改めて書くことにしよう。
全然関係ない話になりますが、今日3月22日は41年目の結婚記念日でした。
3.22といえば、結婚から2年後の1982年3月22日に第一回関西青年平和文化祭が長居競技場(スタジアム)でありました。
六段円塔が立った時は感動でした。懐かしい!YOUTUBEで動画を見ることができました。皆題目唱えながらやってるのがわかる。演技者も観客席もみんな。人文字も素晴らしかった。
この時の話が「新・人間革命」に書かれている。
引用しますと:
「平和は、人類の願望である。私どもは正法正義を根本とし、ただひたすらに、平和に向かって前進してまいりました。また、これからも、断固、進んでいかねばならない。
さまざまな中傷、批判があったとしても、それらを乗り越えて、最も重大な、人類願望の平和を実現する大河の一滴として、私どもは前進していかねばならない。どうか諸君、あとはよろしくお願いします!」
伸一は、関西の青年たちに和歌を贈った。
「ああ関西 天晴れ地晴れ 十万の
平和の勇者は 歴史築けり」
第一回関西青年平和文化祭は、民衆を基盤とした新たな平和の夜明けを告げる旭日となり、感動のうちに幕を閉じた。
これには、法主の日顕も来賓として出席していた。文化祭が終わって二日ほどしたころ、宗門から、すぐに登山せよとの連絡があった。伸一は、京都、滋賀を訪問する予定を変更し、秋月と共に総本山へ向かった。三月二十五日のことである。
待ち受けていたのは、修羅のごとき形相をした日顕であった。居丈高に話しだした。
まさに、言葉尻をとらえての言い分であった。
誰の耳にも、その真意は、仏法を広く時代、世界の精神にしていくという広布と平和への誓いであることは明らかだ。歪んだ心の鏡には、すべてが歪んで映るものだ。
以上
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