御書大好き!!

御書を拝読して感動したことなどを書きます。

富木殿御返事 978頁 

富木殿御返事 建治二年十一月 五十五歳御作

 鵞目一結天台大師の御宝前を荘厳し候い了んぬ、経に云く「法華最第一なり」と、又云く「能く是の経典を受持すること有らん者も亦復是の如し一切衆生の中に於て亦これ第一なり」と、又云く「其の福復彼れに過ぐ」妙楽云く「若し悩乱する者は頭七分に破れ供養すること有らん者は福十号に過ぐ」伝教大師も「讃者は福を安明に積み謗者は罪を無間に開く」等云云、記の十に云く「方便の極位に居る菩薩猶尚第五十人に及ばず」等云云、華厳経の法慧功徳林大日経の金剛薩埵等尚法華経の博地に及ばず何に況や其の宗の元祖等法蔵善無畏等に於てをや、是れは且く之を置く、尼ごぜんの御所労の御事我身一身の上とをもひ候へば昼夜に天に申し候なり、此の尼ごぜんは法華経の行者をやしなう事灯に油をそへ木の根に土をかさぬるがごとし、願くは日月天其の命にかわり給へと申し候なり、又をもいわするる事もやと・いよ房に申しつけて候ぞ、たのもしとをぼしめせ、恐恐。
 十一月二十九日 日 蓮花押
 富木殿御返事

 

短い御書なので通解を載せます。

銭一結(ひとゆい)確かにいただき、天台大師の御宝前を荘厳いたしました。

法華経に「諸経の中で法華経は最第一である」とあり、また「よくこの法華経を受持する者も、また同様である。一切の衆生の中で、またこれ第一である」とあり、また「法華経を持つ者を讚嘆することの福徳は、」長遠にわたって無数の言葉で仏を褒めることによって得る無量の功徳にもまさる」とある。

妙楽大師は「(法華経を持つ者を)もし悩まし乱す者は頭が七つに破れ、供養するものは、福徳が仏に供養するよりも勝る」と言っている。伝教大師も「讃嘆する者は福徳を須弥山のように大きく積み、誹謗する者は罪を無間地獄に開く」などと言っている。法華文句記第十巻に「七種の方便位の最極の位にいる菩薩でさえなお、法華経を伝え聞いて随喜した五十番目の人の功徳に及ばない」等とある。華厳経の法慧菩薩・功徳林菩薩や、大日経の、金剛薩埵等でさえ法華経の下劣の凡夫に及ばないのである。ましてや、それらを依経とする宗派の元祖等や法蔵・善無畏等においては及ぶわけがない。このことはしばらく置く。

富木尼御前のご病気の事は、我が身の上の事と思って昼夜に諸天に祈っている。この尼御前は法華経の行者を、灯に油を添え木の根に土をかぶせるように供養してきた人である。願わくは日天・月天が尼御前の命に変わって助けられよ、と祈っている、また思い忘れることはあってはと、伊予房(尼御前の子)に申し付けてある。頼もしく思われるがよい、恐恐。

十一月二十九日                     日蓮花押

富木殿御返事

 

尼御前は何度か病気で大聖人様からお手紙をいただいておられます。今回も病気は重かったようですが、大聖人の祈りと尼の信心に諸天の加護もあらわれたようで、この後二十数年寿命を延ばして、晩年は富士へ帰り日興上人のもとで生涯を全うされたということです。