弘安二年、日蓮大聖人が58歳の時、身延から下総国の葛飾郡若宮に住む富木常忍の妻に与えられたお手紙です。
富木尼御前は夫の常忍が入道すると同時に剃髪して尼になり、妙常と号したと言われる。その人となりは温良貞淑で、よく夫を助けて、ともに信心を全うした夫人であった。しかし、晩年は健康がすぐれず、常に病魔に悩まされていたようである。
本抄では病気に苦しむ尼御前に対して、定業をも転換できる仏法の偉大な力を教えられ、懇切に信心の指導をされ、激励されている。
最初のところが有名ですね。
夫れ病に二あり、一には軽病、二には重病。重病すら善医に値うて急に[早く]対治すれば命猶存す[命を永らえることができる]、何に況や[まして]軽病をや。業に二あり、一には定業、二には不定業、定業すら能く能く懺悔すれば必ず消滅す、何に況や不定業をや
講義:定業によって寿命が延ばされた実証を引かれて、重病でも名医による治療を受ければ、病気の好転を期待することができる。それはその生命体に生きようとする力、病気と戦う力が残っており、ただ発動を阻害されているにすぎないからであり、医術によってその阻害しているものを除いてやれば、生命力が再び湧き上がってくるということである。だが、病気の基盤に定業があれば、生きるための生命力そのものが衰弱し、消え去ろうとしているのであり、どのような名医も手の施しようがないのである。
このような場合には、何よりも生命力自体の強化が要請される。この消えようとする生命力を蘇らせるためには、正法による懺悔を通じて定業を転ずる以外に方法はない。定業を転じて初めて生きるための本源力が蘇ってくるのである。それ故に日蓮大聖人は四条金吾の治療を受けるよう勧められると共に、尼御前の信心を強く指導されているのである。
(中略)
そこで、日蓮大聖人は寿命が定業として定まっている場合にも、それを延ばしうることを明かされ、寿命を延ばす方途を御教示されている。それが「よくよく懺悔」することである。では懺悔するとはどうすることであろうか。本来は師父等の前で自らの犯した過ちを述べ、許しを請うことであったが、法華経の説く懺悔は、より深い根本的なものである。すなわち法華経の結経である普賢経には「一切の業障海は皆妄想より生ず、若し懺悔せんと欲せば、端座して実相を思え、衆罪は霜露の如し慧日よく消除す」とある。
実相とは一切法の究極にあり一切法を包含している妙法を言う。この実相を日蓮大聖人は南無妙法蓮華経の御本尊として顕された。ゆえに日蓮大聖人の仏法においては「実相を思う」とは御本尊を信じ題目を唱えることであり、それによって過去世からのあらゆる業障を太陽の光に照らされた霜露のように消滅させることができるのである。
この御本尊の定業能転の功徳によって、寿命を短縮していた悪業の作用もなくなり、生命力を蘇らせ豊かな人生を享受できるのである。