御書大好き!!

御書を拝読して感動したことなどを書きます。

大白牛車書 1543頁 56歳御作

この御書も年代がはっきりしませんが、十二月十七日に著された御で、おそらくは建治三年(1277年)であろうとされています。南条時光に与えられたとされています。

 

御書は半頁ほどなので、通解を載せます。

<通解>(前半)

  法華経の第二巻に「この宝乗に乗り直ちに道場に至る」と説かれている。日蓮は建長五年四月二十八日に初めてこの大白牛車の一乗法華の相伝を説き顕したのである。ところが諸宗の人師等が雲霞のように押し寄せてきた。なかでも真言宗、浄土宗、禅宗等は蜂が群がり起こるように攻めてきて戦う。日蓮は大白牛車の牛の角が最第一であるといって戦う。両の角とは法華経の本門と迹門であって(迹門の)二乗作仏と(本門の)久遠実成のことである。(ところが)すでに弘法大師は法華最第一の角を最第三となおし、一念三千、久遠実成、即身成仏の法門は法華経に限るのに、これをも真言の経にあるとなおしている。このような謗法の人達の誤りを正そうとしたのに、かえって強く日蓮にあだをなしている。(このことは)ちょうど牛の角を矯めようとしてかえって牛を殺してしまったかのように言われたが、どうしてそのようなことがあろうか。

 

<講義より>

ここで「角をなおさんとして牛をころしたるがごとく」といわれているのは、「角を矯めて牛を殺す」という中国のことわざである。「玄中記」によれば何公が人々を傷つけようとした一頭の牛を追い、斧で牛の頭を打って殺した故事がこのことわざの由来である。本来は人々のためにした行為の話であるが、ことわざとしては少しの傷を直そうとしてかえって元も子も失ってしまうという教訓となっている。

当時の人々は大聖人が諸宗を破折されたことを、この「角を矯めて牛を殺す」の類であると批判したのであろうが、決してそうではないと言われているのである。

(大聖人が諸宗の邪義を正そうとしてかえって仏教を混乱させる結果になっている、ということを「角を矯めて牛を殺す」と書かれているようです。)

 

<通解>(後半)

そもそもこの車というのは、本門と迹門の輪を妙法蓮華経という牛にかけ、三界の家宅を生死生死とぐるりぐるりと回るところの車である。だから、信心というくさびをさし、志という油をさされて霊山浄土へまいられるがよい。

また、※心王は牛であり、生死は両方の輪のようなものである。伝教大師は「生死の二法は一心の妙用であり、有無の二道は本覚の真徳である」といい、天台大師は「※十如は只是れ乃至今境は是れ体である」といっている。この文釈をよくよく思案されるがよい。南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経

十二月十七日                  日蓮   花押 

 

<語句>

※心王:外境を認識する際、心の働きの主体となる識(六識、八識、九識など)をいう。一切法を五種に分類した五位(色、心、心所、心不相応行、無為)の一つ。大聖人は生命の奥底の仏界を心王とされ、それを九識心王真如の都とされている。

※「十如は只是れ乃至今境は是れ体」:法華経方便品の十如は法華経の本体であり、大白牛車に譬えればその車体にあたるという意味。

 

<講義より>

 前段では大白牛車自体を法華経とする一応文上の立場で述べられたのに対し、これをさらに深く、本迹二門の輪を動かす原動力たる牛は「妙法蓮華経」すなわち南無妙法蓮華経の大白法にほかならないことを示されている。すなわち文底仏法のお立場を示されている。この南無妙法蓮華経の御本尊こそ「三界の火宅を生死生死とぐるり・ぐるりと廻り候ところの車なり」と仰せである。

譬喩品の三社火宅のたとえでは危険な火宅で遊んでいる子供らを外へ救い出して大白牛車を与えるのであるが、妙法蓮華経の大白牛車は三界の火宅を離れることはないのである。確かに娑婆世界は三界の火宅である。しかし、本抄冒頭の「道場」すなわち霊山浄土という最高の幸福はこの娑婆世界を離れたところにあるのではない。

火宅たる煩悩に満ちた世界の中にあっても、御本尊を受持していくならば苦しみの火宅は仏界へと変革していくのである。御義口伝には「車とは法華経なり牛とは南無妙法蓮華経なり、宅とは煩悩なり、自身法性の大地を生死生死とめぐり行くなり」と仰せである。

この御本尊の功力をあらわす根源が妙法を絶対と信ずる信心の一念なのである。「ただ信心のくさびに志の油をささせ給いて霊山浄土へまいり給うべし」といわれているのはこれである。ここで「信心」と「志」とに分けられているのは、「信心」が御本尊を信ずる心であり「志」は真心であり、信心の一念の強さを言われているのではなかろうか。

次に「心王は牛の如し、生死は両の輪の如し」と言われているのは、生命論に約しての仰せである。心王は常住の生命自体を意味し、生死とは三世に渡って流転していく生命を意味している。大地を回る車輪は生死であり、その車を引く牛が常住・永遠の生命である。牛に引かれて車輪がぐるぐる回りながら進むように、我々の生命は現実世界に立脚して生死を流転しつつも、永遠・常住の生命の牛に力強く引かれて進んでいくことを確信したい。

伝教大師の「生死の二法は一心の妙用・有無の二道は本覚の真徳」との言葉は、この世に生まれ、また死んでいくのも、常住の体たる我が生命の不思議な働きであり、生まれてこの世に「有る」のも、心で「無」くなるのも、衆生の本有の覚りに具わっている徳用であるという意味である。

十如は只是れ乃至今境は是れ体」は妙楽大師の止観弘決の文である。十如は法華の実相であり、権実の正体であり、また車体であり、実相の体であり、今境は体であると述べている。すなわち、十如は大白牛車で言えば車体に当たるということである。

これらの文釈をよく案じなさいと言われているのは、生と死を現じつつも生死を超えて常住しているこの生命の真理、我が身が妙法の当体と覚知するのが成仏であり、そのためには御本尊への絶対の信が肝要であることを強調されているのである。

 

御書もそのまま拝読すると結構かっこいい文なので、読まれるといいと思います。

<御書>

大白牛車書 建治三年十二月十七日 五十六歳御作
 与南条七郎次郎
 夫れ法華経第二の巻に云く「此の宝乗に乗り直ちに道場に至る」と云云、日蓮は建長五年四月二十八日初めて此の大白牛車の一乗法華の相伝を申し顕はせり、而るに諸宗の人師等・雲霞の如くよせ来り候、中にも真言・浄土・禅宗等・蜂の如く起りせめたたかふ、日蓮大白牛車の牛の角最第一なりと申してたたかふ、両の角は本迹二門の如く二乗作仏・久遠実成是なり、すでに弘法大師は法華最第一の角を最第三となをし・一念三千・久遠実成・即身成仏は法華に限れり・是をも真言の経にありとなをせり、かかる謗法の族を責めんとするに返つて弥怨をなし候、譬えば角を・なをさんとて牛をころしたるが如くなりぬべく候ひしかども・いかでさは候べき。
 抑(そもそも)此の車と申すは本迹二門の輪を妙法蓮華経の牛にかけ、三界の火宅を生死生死とぐるり・ぐるりとまはり候ところの車なり、ただ信心のくさびに志のあぶらをささせ給いて霊山浄土へまいり給うべし、又心王は牛の如し・生死は両の輪の如し、伝教大師云く「生死の二法は一心の妙用・有無の二道は本覚の真徳なり」云云、天台云く「十如は只是れ乃至今境は是れ体」と云云、此の文釈能能(よくよく)案じ給うべし、南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経
 十二月十七日 日 蓮 花押