御書大好き!!

御書を拝読して感動したことなどを書きます。

観心本尊得意抄 972頁 54歳御作

1275年(建治元年)十一月二十三日に富木常忍に対して書かれた御書です。

 

銭一貫文、厚綿の白小袖一枚、筆十管、墨五丁を頂いた。身延山はご存じのように冬は嵐が激しく、降り積もる雪はなかなか消えない。極寒のところなので昼夜の修行も薄着では耐え難く、辛く苦しく思っていたところにこの小袖を着ては何のつらいこともない。商那和修は付法蔵の第三の聖人である。この因位について仏は「過去のように病の比丘に衣を与えた功徳によって、生々世々に自由自在になる不思議の衣を得たのである」と説かれている。

今、あなたがお送り下さった御小袖はちょうど商那和修の過去の因行に似ている。この功徳は日蓮は凡夫だから知らないが、ただ釈迦仏にお任せ申し上げている。

さてこの御状によれば教信の御房が観心本尊抄の未得等の文字について、迹門は(得道できない教えであるから)読むまいという疑問の心を起こしたとのこと。これは日蓮相伝しない間違った考えである。去る文永年中にこの書についての相伝は詳しく書いてあなたにお送りしたが、(教信御房には)その通り教訓されるがよい。

要するに日蓮があちこちに「迹門を捨てよ」と書いたのは、今我々が読むところの迹門ではなくて、比叡山天台宗の、過去像法時代における法華経迹門の意である。たとえ天台・伝教のように経文の通りに受持し、弘めても、今末法に至っては去年の暦のようなものである。まして慈覚以後は大乗、小乗、権教、実教の区別に迷って正法をそしり、大謗法のものと同じになってしまっているのであるから、像法の利益さえなくなっており、まして末法における利益などあるはずがない。

 (お手紙には)北方に住む能化(よく他を化導する人・僧侶)が法華経以前の諸教は未顕真実であるとして捨てながら、安国論で爾前の経を引き文証としているのは、自語相違であると非難しているとのこと、これは前々にも申した通りである。

およそ釈尊の一大聖教を大略二分することができる。一つには大綱、二つには網目である。初めの大綱とは成仏得道の教えであり、成仏の教とは法華経である。次に網目とは法華経以前の諸経であり、それらの諸経は不成仏の教えである。たとえ文言の中に成仏得道を説いていても、それは名字ばかりで、その実義は法華経にあるのである。伝教大師の決権実論には「仏の方便の説にはただ名のみ説いて実義がない」と言われている。ただし爾前権経においても成仏得道の外は説かれた教えに偽りはない。法華経のための網目として説かれたものである故である。即ち成仏の大綱を法華経に説き、その他の網目は諸経に明かしたのである。法華経のための網目である故に、法華経を証する文として引き用いることができるのである。その上法華経において、実義が表わされることを爾前経で名字だけを説いたのは全く法華経の為であるから、なおのこと法華経の証文となるのである。

問う、法華経を一大聖教の大綱とする証文があるのか。答える、天台は法華玄義の第十で「法華経は仏が教を設ける大綱だけを明かして、網目までは委細に説いていないことを知るべきである」と言われている。爾前経を網目とする文証はあるのか。答える、妙楽は法華文句記巻十上に「皮膚毛綵(ひふもうさい)は諸経にある」と言われている。問う、成仏は法華経に限るという文証はあるのか。答える、法華経方便品第二に「唯一仏乗のみで二条、三条の教などはないと説かれている。問う、爾前経が法華経のためという文証はあるのか、答える、同じく方便品に「種々の教えを説いたが、皆一仏乗に引き入れるためであった」とある。なお詳しく申し上げたいが、気分がすぐれないので、ここで省略する。

十一月二十三日                    日  蓮 花押

富木殿御返事

阿闍梨(そつあじゃり)日高がかつて話していたのは、下総に目連樹という木があるとのこと、その木の根を掘って十両(20本)ばかり、両方の切り口を焼き金を当てて焼いて、厚く紙に包み、風に当たらぬようにこしらえて、大夫次郎が来るときいただきたいと伝えてほしい。

 

赤字のところがわかればいいと思いますが・・独断で赤字にしました。