別名「法華真言違目」
一か月前の十月六日に蒙古軍が九州に襲来しています。
大聖人の予言が的中して、自界叛逆難・他国侵逼難(たこくしんぴつなん)が起こったのは、真言宗が法華宗に勝るという仏法の邪見によるのであるとされ、真言が法華宗を破ったために亡国となった中国と日本の先例をあげて、そうした邪義を用いてはならないといましめています。
短い御書なので全部通解で載せます。
曾谷入道殿御書
自界叛逆難と他国侵逼の難は、既に現実のものとなった、このことから思うに、「多くの他国の怨賊が攻めてきて、国内を侵略し、人民は諸々の苦悩を受けどこにも安楽なところがない」という経文によく符合している。(やがて日本国の人々は皆)今の壱岐・対馬の土民のように苦しみを受けることになるであろう。これはひとえに仏法上の邪見によるのである。
仏法上の邪見というのは真言宗と法華宗との勝劣について誤った見解を言うのである。日蓮が、禅宗と念仏宗の非を責めたのは、この真言宗の誤りを申しあらわすまでの筋道に過ぎない。中国では善無畏、金剛智、不空の三三蔵が誑惑(きょうわく=人をだまし惑わすこと)の心によって天台法華宗を真言の大日経の中に盗み入れて、かえって法華経の肝心と天台大師の徳を隠したために国が滅びたのである。
日本では慈覚大師が大日経、金剛頂経、蘇悉地経を鎮護国家の三部経であると定めて、伝教大師の鎮護国家の法を破ってしまったことから、比叡山に悪義が起こり、ついに王法が滅びたのである。この悪義は鎌倉にまでやってきて、また日本国を滅ぼすに至るであろう。
弘法大師の邪義はかえってはっきりしているから惑わされないものもいるが、慈覚大師の法華経と大日経との理同事勝の解釈は、智者ですら認めてしまったぐらいであるから、愚者はどうして信じないことがあろうか。慈覚大師は法華経と大日経の勝劣を定めるのに祈請を凝らし、箭(や)を持って日を射た夢を見たという。これは慈覚大師の心中に阿修羅王が入って法華経の大日輪を射たということではないか。この慈覚大師の法門を当世の比叡山やその他日本国の人々は信ずべきだろうか。もし大日経が法華経に勝るという慈覚の結論が本当ならば、日蓮は須弥山を投げる愚かなことをしているものとなろう。だが我が弟子はこのことを認めるべきであろうか。最後であるから言うのである。日蓮を恨んではならない。恐恐謹言。
十一月二十日 日 蓮 花 押
曾谷入道殿
わかりやすい内容だと思いました。
そして、気になったのが、最後のところ。
「最後であるから言うのである。」ってどういう最後のことなのか?
多くの他国の怨賊が攻めてきて、国内を侵略し、人民は諸々の苦悩を受けどこにも安楽なところがない」という経文によく符合している。
まさしく、現代も北朝鮮からのミサイルも怖いし、コロナウイルスで多くの民が死の恐怖を覚え、沢山の人が亡くなり、今も毎日千人以上の人々が感染している。どこに安楽を求めるのか、ワクチンを二回打ってもまだ100%コロナを防げるわけでもない。
人命を守らなくて経済だけ守ろうとすれば、絶対だめだと思うのです。どちらも守るための最良の方法を考えて、ただ人の命は失ったら元に戻せない、死んだら生き返れないということを第一に考えて、経済はお金で解決できるところにはお金を早く回してあげるべきだと思う。何で経済援助が遅れたのか、皆死ぬほど困っているのに、そこは自治体の長の責任が重いと思う。海外ではお金の支給はあれだけ早くできるのだから、日本もやればできるはずです。やれてないのは、やろうという気がないだけ。自分が困ってないから、困ってる人の切羽詰まった感情が共感できないと思う。日蓮大聖人は日本国の一切衆生の異なるそれぞれの苦しみは日蓮ひとりの苦しみだと言われているお手紙があります。一切衆生のそれぞれ違う苦しみを全部わかるよ、と言われている。
為政者にこの心があるのか、ということだと思いますね。
今の総理がコロナで亡くなられた人々のことを話にだして、言われたことは一度もない。私は聞いたことがないです。安心安全で五輪をやる、という話だけ耳にタコができるくらい聞かされて、蓋を開けたら全然安心も安全もない。思った通りです。バブル方式が全然ダダ漏れ、もう泡が失せちゃってます。早く総理をやめてくれと願ってます。