御書大好き!!

御書を拝読して感動したことなどを書きます。

種種御振舞御書 後半   新版御書で書き直します。 全916頁  新1234頁

前は御書全集で載せていましたが、新版御書で写しています。そのままでも結構わかりやすくなってると思います。

 

 同十月十日に依智を立って、同十月二十八日に佐渡国へ著きぬ。十一月一日に六郎左衛門が家のうしろ、塚原と申す山野の中に、洛陽の蓮台野のように死人を捨つる所に、一間四面なる堂の、仏もなし。上はいたまあわず、四壁はあばらに、雪ふりつもりて消ゆることなし。かかる所にしきがわ打ちしき、蓑うちきて、夜をあかし、日をくらす。夜は雪・雹・雷電ひまなし。昼は日の光もささせ給わず。心細かるべきすまいなり。彼の李陵が胡国に入ってがんくつにせめられし、法道三蔵の徽宗皇帝にせめられて面にかなやきをさされて江南にはなたれしも、只今とおぼゆ。
 あらうれしや。檀王は阿私仙人にせめられて、法華経の功徳を得給いき。不軽菩薩は上慢の比丘等の杖にあたりて、一乗の行者といわれ給う。今、日蓮は、末法に生まれて妙法蓮華経の五字を弘めてかかるせめにあえり。仏滅度して後二千二百余年が間、恐らくは天台智者大師も「一切世間に怨多くして信じ難し」の経文をば行じ給わず。「しばしば擯出せられん」の明文は、ただ日蓮一人なり。※「一句一偈、我は皆ために授記す」は我なり。阿耨多羅三藐三菩提(成仏すること)は疑いなし。

「一句一偈、我皆記を与え授く」法師品第十の「妙法の一偈一句を聞いて、、乃至一念も随喜せん者には、我皆記を与え授く」の文の省略。法華経の中の一句一偈を聞いて信心の心を起こしたものは、仏がみな、その人たちへ仏が皆その人たちへ仏となる証明を与えるという意味。


 相模守(さがみのかみ)殿こそ善知識よ、平左衛門こそ提婆達多よ。念仏者は瞿伽利尊者(くぎゃりそんじゃ)、持斎等は善星比丘なり。在世は今にあり、今は在世なり。法華経の肝心は、「諸法実相」ととかれて「本と末とは究竟して等し」とのべられて候はこれなり。


 摩訶止観第五に云わく「行解既に勤めぬれば、三障四魔、紛然として競い起こる」文。また云わく「猪(いのしし)の金山を摺(す)り(こすってますます光らせる)、衆流の海に入り、薪(たきぎ)の火を熾(さか)んにし、風の求羅(ぐら=加羅求羅という虫)を益す(太らせる)ようなものである。」等云々。釈の心は、法華経を教えのごとく、機に叶い時に叶って解行(かいぎょう=信解し、修行すること)すれば、七つの大事出来す。その中に天子魔とて、第六天の魔王、あるいは国主、あるいは父母、あるいは妻子、あるいは檀那、あるいは悪人等について、あるいは随って法華経の修行をさまたげ、あるいは反対するはずである。いずれの経をも行ぜよ、仏法を行ずるには分々に随って留難あるべし。その中に、法華経を行ずるには強盛にさうべし。法華経をおしえのごとく、時と機根に適合して行ずるには、とくに強くに難があるはずである。

 

故に、弘決の八に云わく「※もし衆生、生死を出でず、仏乗を慕わずと知らば、魔は、この人において、なお親の想いを生ず」等云々。釈の心は、人、善根を修すれども、念仏・真言・禅・律等の行をなして法華経を行ぜざれば、魔王、親のおもいをなして、人間につきて、その人をもてなし供養す。世間の人に実の僧と思わせんがためなり。例せば、国主のたっとむ僧をば諸人供養するがごとし。されば、国主等がかたきにするのは、既に正法を行じているということになる。

(※もし衆生、生死を出でず、仏乗を慕わずと知らば、魔は、この人において、なお親の想いを生ず。

ここ面白い言い方してはりますね~。生死の苦海から出ることもなく、仏を慕っていないと知れば、魔はこの人に対して親のような想いを生ずる、すなわち大事にするということですね。今で言えば御本尊を信じて頑張ってる人に対しては、魔は敵対するということです。信心さぼったりやってない人に対して、魔は親のようによしよしするってことですね。)


 釈迦如来の御ためには提婆達多こそ第一の善知識なれ。今の世間を見るに、人をよくなすものは、味方よりも強敵が人をよく大成させている。。眼前に見えたり。この鎌倉の御一門の御繁昌は、義盛と隠岐法皇ましまさずんば、いかでか日本の主となり給うべき。されば、この人々はこの御一門の御ためには第一の味方である。日蓮が仏にならん第一の味方は景信、法師には良観・道隆・道阿弥陀仏、平左衛門尉・守殿がいなかったならば、どうして法華経の行者になれただろうかと悦んだものである。


 こうやって過ごしているうちに、庭には雪つもりて人もかよわず、堂にはあらき風より外はおとずるるものなし。眼には止観・法華をさらし、口には南無妙法蓮華経と唱え、夜は月・星に向かって、諸宗の違目と法華経の深義を談ずるほどに、年も改まった。

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 いずくも人の心のはかなさは、佐渡国の持斎・念仏者の唯阿弥陀仏・性諭房・印性房・慈道房等の数百人、より合って僉議すと承る。「聞こうる阿弥陀仏の大怨敵、一切衆生の悪知識の日蓮房、この国にながされたり。なにとなくとも、この国へ流されたる人の始終いけらるることなし。たといいけらるるとも、かえることなし。また打ちころしたりとも、御とがめなし。塚原という所にただ一人あ

り。いかにごうなりとも、力つよくとも、人なき処なれば、集まっていころせかし」と云うものもありけり。また、「なにとなくとも頸を切らるべかりけるが、守殿の御台所の御懐妊なれば、しばらくきられず。終には一定ときく」。また云わく「六郎左衛門尉殿に申して、きらずんばはからうべし」と云う。多くの義の中に、これについて守護所に数百人集まりぬ。
 六郎左衛門尉の云わく「上より殺しもうすまじき副状下って、あなずるべき流人にはあらず。あやまちあるならば、重連が大いなる失なるべし。それよりは、ただ法門にてせめよかし」と云いければ、念仏者等、あるいは浄土の三部経、あるいは止観、あるいは真言等を、小法師等が頸にかけさせ、あるいはわきにはさませて、正月十六日にあつまる。佐渡国のみならず、越後・越中・出羽・奥州・信濃等の国々より集まれる法師等なれば、塚原の堂の大庭、山野に数百人、六郎左衛門尉兄弟一家、さならぬもの、百姓の入道等、かずをしらず集まりたり。
 念仏者は口々に悪口をなし、真言師は面々に色を失い、天台宗ぞ勝るべきよしをののしる。在家の者どもは「聞こうる阿弥陀仏のかたきよ」とののしりさわぎひびくこと、震動・雷電のごとし。日蓮はしばらくさわがせて後、「各々しずまらせ給え。法門の御ためにこそ御渡りあるらめ。悪口等よしなし」と申せしかば、六郎左衛門を始めて諸人、「しかるべし」とて、悪口せし念仏者をばそくびをつきいだしぬ。
 さて、止観・真言・念仏の法門、一々にかれが申す様をでっしあげて、承伏せさせては、ちょうとはつめつめ、一言二言にはすぎず。鎌倉の真言師・禅宗・念仏者・天台の者よりもはかなきものどもなれば、ただ思いやらせ給え、利剣をもってうりをきり、大風の草をなびかすがごとし。仏法のおろかなるのみならず、あるいは自語相違し、あるいは経文をわすれて論と云い、釈をわすれて論と云う。善導が柳より落ち、弘法大師の三鈷を投げたる、大日如来と現じたる等をば、あるいは妄語、あるいは物にくるえるところを一々にせめたるに、あるいは悪口し、あるいは口を閉じ、あるいは色を失い、あるいは「念仏ひが事なりけり」と云うものもあり。あるいは当座に袈裟・平念珠をすてて、念仏申すまじきよし、誓状を立つる者もあり。
 皆人立ち帰るほどに、六郎左衛門尉も立ち帰る。一家の者も返る。日蓮、不思議一つ云わんと思って、六郎左衛門尉を大庭よりよび返して云わく「いつか鎌倉へのぼり給うべき」。かれ、答えて云わく「下人どもに農せさせて、七月の比」と云々。日蓮云わく「弓箭とる者は、おおやけの御大事にあいて、所領をも給わり候をこそ。田畠つくるとは申せ、只今いくさのあらんずるに、急ぎうちのぼり高名して所知を給わらぬか。さすがに和殿原はさがみの国には名ある侍ぞかし。田舎にて田つくりいくさにはずれたらんは、恥なるべし」と申せしかば、いかにや思いけめ、あわててものもいわず。念仏者・持斎・在家の者どもも、「なにということぞや」と怪しむ。
 さて皆帰りしかば、去年の十一月より勘えたる開目抄と申す文二巻造りたり。頸切らるるならば日蓮が不思議とどめんと思って勘えたり。この文の心は、日蓮によりて日本国の有無はあるべし。譬えば、宅に柱なければたもたず、人に魂なければ死人なり。日蓮は日本の人の魂なり。平左衛門、既に日本の柱をたおしぬ。只今、世乱れて、それともなくゆめのごとくに妄語出来して、この御一門ど