御書大好き!!

御書を拝読して感動したことなどを書きます。

四条金吾殿御返事 1192頁 58歳御作

1279年(弘安2年)10月23日、身延で著され四条金吾に与えられたお手紙です。

 四条金吾が暗殺者に襲われながらも、無事に逃げられたと報告したことに対するお手紙です。別名は「法華経兵法事」

四条金吾が強敵と戦って無事だったことは前からの用心と勇気があり法華経の信心が強かったためであると喜び、福運と果報があったためであるとされています。また、法華経の行者は必ず諸天善神が守護するので、四条金吾へ摩利支天が剣形を与え、日蓮は妙法を授けたので守護されたのであろうと言われています。

そして大聖人がどれほど四条金吾の幸せを祈ったとしても、金吾に信心がなければ叶わないので、いっそう強盛な信心を奮い起こすよう励まされています。

 

四条金吾殿御返事 弘安二年十月 五十八歳御作

 さきごろ強敵と争いのあったことについてお手紙をいただき、くわしく拝見いたしました。それにしても以前から、あなたは敵人にねらわれていたのでしょう。しかし、普段からの用心と言い、又勇気と言い、また法華経の信心が強盛な故に無事に存命されたことはめでたいことである。めでたいことである。いったい、福運がなくなれば兵法もいらなくなる。果報がつきてしまえば家来も従わなくなるものである。所詮、運も残り果報も残っていた故である。ことに法華経の行者を諸天善神が守護するということを属累品で誓状をたて、一切の守護神・諸天の中でも我等が眼に見へて守護するのは日月天である。どうして信じないでいられようか。特に日天の前に摩利支天がいる。主君の日天が法華経の行者を守護しているのに、家来の摩利支天が法華経の行者を見捨てることがあるだろうか。

序品の時・名月天子普光天子・宝光天子・四大天王・与其眷属・万天子倶と列座した。摩利支天はそこに列座した三万天子のなかに入っているはずだ。もしその中にいなければ地獄に堕ちているのであろう。今度の大事は此の摩利支天の守りではないか。彼の摩利支天は剣形をあなたに与え、守護したのである。此の日蓮は一切の諸天善神が守るべき首題の五字をあなたに授ける。法華経受持のものを諸天善神が守護する事は疑いない。摩利支天も法華経を持って一切衆生をたすけるのである。「臨兵闘者皆陣列在前(兵闘に臨む者は皆陣列して前に在り)」の文も法華経より出たものである。「若(もし)俗間(ぞっけん)の経書治世の語言、資生の業等を説かんも、皆正法に順ぜん」というのはこのことである。これに・つけても・いよいよ強盛に大信力をいだし給へ、我が運命つきて諸天守護ないと恨むようなことがあってはならない。
 将門は・武将としての名を高め、兵法の大事をきわめた。しかし王命にはまけた。はんかいや張良も甲斐がなかった。ただ心こそ大切なのである。いかに日蓮いのり申すとも不信ならば、ぬれたる火口(ほくち)に・火を打ちかけるようなもので無駄になってしまう。なお一層自分を励まして強盛に信力を出していきなさい。過日強敵に遭いながらも助かったことは不思議なことだと思いなさい。なにの兵法よりも法華経の兵法を用いていきなさい。「諸余怨敵・皆悉摧滅(もろもろの怨敵が皆ことごとく摧滅する)」の金言は決して空しくないであろう。兵法剣形の大事も、此の妙法より出たものである。ふかく信じていきなさい。あえて臆病では何事も叶わないのである。、恐恐謹言。
 十月二十三日 日 蓮花押
 四条金吾殿御返事

 

〈語句の説明〉

摩利支天:陽炎と訳されるように、太陽の強い光が大地に当たって起こすかげろうと関係がある。この摩利支天が古来武士の守護神として崇められたというのは、相対して戦う場合、太陽を背にして相手の目を眩ませるのが有利であったこととつながりがあるようです。