御書大好き!!

御書を拝読して感動したことなどを書きます。

四条金吾殿御返事 1118頁 51歳御作

別名を「梵音声(ぼんのんじょう)御書」という。

文永9年9月、四条金吾が亡き母の三回忌追善供養のために、使いを大聖人のもとに遣わしたのに対する御返事です。

一国の盛衰は国王によって大きく影響され、国主が謗法を重ねれば国が滅びることを示し、当時広く流布していた念仏を唱える者は無間地獄に堕ちると言われています。そして、幕府から迫害されて佐渡流罪された大聖人に使いを遣わして亡き母の追善の供養をした四条金吾の志をたたえて、大聖人を謗る罪は重く、供養する功徳の大きいことを教えられています。次に仏の三十二相について説かれ、特に梵音声は一切経となり、法華経となって一切衆生を救うと述べられています。

         〈「日蓮大聖人の御書を読む」から引用しました〉

 

 

 四条金吾殿御返事 文永九年九月 五十一歳御作

 夫れ斉の桓公と申せし王・紫の好んで服を着ていた。楚の荘王と言いし王は女の腰の太いことを憎んだので、一切の遊女・腰を細くしようとしてそのために餓死したものが多かった。であれば、一人の(王の)好む事を自分の心に合ってなくても、万民が随うのである。たとえば大風の草木をなびかせ、大海が衆流を引くようなものである。風にしたがはざる草木は・折れ失せないでいられようか。小河は大海におさまらなければ・いづれのところにおさまるべきであろうか。国王といわれることは、前世で万人よりすぐれて大戒を持ったので、天地及び諸神が王になることをゆるしたのである。その大戒の功徳をもって、その住むべき国土を定める。二人・三人等を王とはせず、地王・天王・海王・山王等・悉く来臨して・この人を護るのである。ましてその国中の諸民がその大王に背くはずがあるであろうか。この王はたとえ悪逆を犯すとも、一、二、三度ぐらいではどうということもなく、この大王を罰しない。ただし、諸天等の御心に叶わないことには一往は天変地夭等をもってこれを諫める。事の度が過ぎれば諸天善神等はその国土を捨離される。

あるいはこの大王の戒力が尽きる時が来ると、国土のほろぶ事もある。又【国王の】逆罪多く重なれば隣国に破られる事もある、善悪に付て国は必ず王に随うものである。
 世間もこのようなことであり、仏法もおなじことである。仏陀すでに仏法を王法に付属した。たとえ聖人・賢人なる智者なれども、王に従わなければ仏法は流布しない。あるいは後には流布すれども始めには必ず大難が来る。迦弐志加王は仏の滅後四百余年の王である。健陀羅国を掌のうちににぎり、五百の阿羅漢を帰依して(集めて)婆沙論二百巻をつくらせた。国中総て小乗教でその国に大乗教は弘めるのは難しかった。発舎密多羅王は五天竺を随えて、仏法を失い、衆僧の頸を斬った。どの智者も叶わなかった。
 【唐の】太宗は賢王である。玄奘三蔵を師として法相宗を持たれた。臣下の誰も背けなかった。この法相宗は大乗教であったが、五性各別といって【仏になれるものとなれないものとが定まっているとたてるので】、仏教中の大きなわざわいと思われる。なお外道の邪法にもすぎた悪法である。月支・震旦・日本・三国共に許さない邪義である。終に日本国で伝教大師の御手にかかってこの邪法は打ち破られた。大なる禍であったけれども太宗がこれを信仰していたので、誰人もこれに背けなかったのである。。

 真言宗というのは大日経金剛頂経蘇悉地経を依教としている。これを大日の三部経と名付けている。玄宗皇帝の時に・善無畏三蔵・金剛智三蔵が天竺から持ってきたのである。玄宗これを尊重すること、天台・華厳宗等にも越えていた。法相・三論にも勝れていると思われたので、漢土は総て大日経法華経に勝ると思い、日本国・当世にいたるまで天台宗真言宗に劣ると思っている。彼の宗(真言)を学する東寺・天台の高僧等は慢、過慢をおこしている。ただし大日経法華経とをならべて偏見を捨てて是を見れば、大日経は螢火のようで、法華経は明月のようなものである。真言宗は衆星のようで、天台宗は日輪のようである。偏執の者がいう「お前は未だ真言宗の深義を習いきわめもしなくて真言宗の無尽の科(とが)をいう」ただし真言宗・漢土に渡つて六百余年・日本に弘まりて四百余年・此の間の人師の難答あらあら・これをしれり、伝教大師一人・此の法門の根源をわきまへ給う、しかるに当世・日本国第一の科は真言宗である。勝れた法華経を劣ると思い、劣れる真言宗を以て勝れると思う故に、大蒙古国を調伏する時にかえって襲われそうになっているのはこのためである。
 華厳宗というのは法蔵法師が所立の宗である。則天皇后の御帰依があったために、諸宗は肩を並べがたいものとなった。そうすると王の威勢によって宗教の勝劣があるので、法に依る勝劣はないかのようである。
 たとえ深義を得た論師・人師であっても、王法には勝ちがたいゆえに、たまたま勝とうとした人は大難にあったのである。いわゆる師子尊者は檀弥羅王のために頸を刎ねられ、提婆菩薩は外道のために殺害された。竺の道生は蘇山に流され、法道三蔵は顔に火印を押されて江南に追放された。しかし日蓮法華経の行者でもなく、又僧侶の数にも入らない。
 そして、世間の人にしたがって阿弥陀仏の名号を持っていたところが、阿弥陀仏の化身という評判の善導和尚のいうには「阿弥陀経によれば十人が十人往生し、百人が百人往生する。ところが法華経により成仏するのは千人に一人もない。」と、勢至菩薩の化身と仰がれる法然上人はこの釈を料簡していうには「末代に念仏の外の法華経等を雑(まじ)うる念仏においては千人に一人も成仏しない。一向に阿弥陀仏を念ずれば十人が十人往生する」と。日本国の有智・無智の人々は仰いで此の義を信じて、今に五十余年間、一人も疑いを加えず、唯日蓮が諸人にかわる所は阿弥陀仏の本願には「ただ五逆と誹謗正法とを除く」と誓い、法華経には「もし人信ぜずして此の経を毀謗せば則ち一切世間の仏種を断ず、乃至其の人命終して阿鼻獄に入らん」と説かれたり、此れ善導も法然も謗法の者なので、たのみにするところの阿弥陀仏に捨(す)てられてしまっている。そのほかの余仏・余経においては、自分からなげうったのであるから、そのほかの余仏・余経が救おうとしても及ばないのである。。法華経の文によれば無間地獄は疑なしと書かれている。ところが、日本国はおしなべて彼等の弟子であるから、この大難はまぬかれがたい。
 無尽の秘計をめぐらして日蓮をあだむ根本原因は是である。先先の諸難はさておく。去年九月十二日に御勘気をこうむり、その夜のうちに頭をはねられるはずであったが、いかなる事に依ったのであろうか。その夜は生き延びて此の国に来りて、今に至っているが世間にも捨てられ、仏法にも捨てられ、天も訪わず、世間と仏法の二途にかけて捨てられたものである。

ところが、いかなる御志にて・ここまで御使をつかはし、御身には一生の大事である悲母の御追善三回忌の御供養を送りつかはされたる。両三日は現実とも思えずに過ごした。かの法勝寺の僧・俊寛が硫黄が島に流されて、久しい以前から使っていた童子に会ったと同じ心地である。胡国の夷・陽公というものが漢土に生けどられて北より南へ行ったときに、飛び舞っている雁を見て嘆くのも・これには及ばないと思うのである。
 ただし法華経に云く「若し善男子、善女人、我が滅度の後に能く竊(ひそ)かに一人の為にも法華経の乃至一句を説かん、当に知るべし是の人は則ち如来の使如来の所遣として如来の事を行ずるなり」等云云、法華経を一字一句も唱え又人にも語り申すものは教主釈尊の御使である。そうであるならば、日蓮は賤しき身であるけれども教主釈尊の勅宣を頂戴して、此の国に来たのである。これを一言もそしらん人人は罪を無間に開き一字一句も供養する人は無数の仏を供養するにも越えていると思いなさい。
 教主釈尊は一代の教主であり、一切衆生の導師である。八万法蔵は皆金言である。十二部経は皆真実である。無量億劫より以来持っていた不妄語戒の所詮は一切経是であり、いづれも疑うべきではない。ただしこれは総相である。別して尋ねると如来の金口より出来した小乗・大乗・顕密・権経・実経の別がある。今この法華経は「正直捨方便等・乃至世尊法久後・要当説真実」と説かれているので、誰も疑うはずはないけれども、多宝如来・証明を加え、諸仏・舌を梵天に付けて証明している。それゆえ、この御経は一部であるけれども三部である。一句だけれども三句である。一字なれども三字である。此の法華経の一字の功徳は釈迦・多宝・十方の諸仏の御功徳を一字におさめている。たとへば如意宝珠のようなものである。一珠も百珠も同じことである。一珠も無量の宝を雨す、百珠も又無尽の宝である。たとへば百草を抹りて一丸乃至百丸となした。一丸も百丸も共に病を治する事これ同じである。譬へば大海の一渧も衆流を備へ、一海も万流の味を持っているようなものである。
 妙法蓮華経というのは、総名である。二十八品というのは別名である。月支というのは天竺の総名である。別しては五天竺がある。日本というのは総名である。別しては六十六州がある。如意宝珠というのは釈迦仏の御舎利のことである。竜王にこれを給わり頂上に頂戴して、帝釈が是を持って宝をふらせる。仏の身骨が如意宝珠となることは無量劫以来持つ所の大戒が、身に薫じて骨に染まり、一切衆生をたすける珠となるのである。たとえば犬の牙の虎の骨に溶け、魚の骨の鸕(う)の気(いき)に消えるようなものである。また師子の筋(すじ)を琴の絃(いと)にかけてこれを弾けば、ほかの一切の獣の筋の絃、皆切らないのに破れてしまう。仏の説法を師子吼という。乃至法華経は師子吼の第一である。
 仏には三十二相を具えている。一つ一つの相は皆百福によって荘厳されている。肉髻・白毫などというのは、菓の如し因位の華の功徳等と成つて三十二相を備え給う、乃至無見頂相と申すは釈迦仏の御身は丈六なり竹杖外道は釈尊の御長をはからず御頂を見奉らんとせしに御頂を見ることができなかった。応持菩薩も御頂を見れなかった。大梵天王も御頂を見れず、これはどういうわけかと尋ねると、(釈尊が過去に)父母・師匠・主君を、頂を地につけて恭敬したゆえに、この相を感得したのである。
 また、梵音声というのは仏の第一の相である。小王・大王・転輪王等・この相を一分備へたるゆえに、この王の一言に国も破れ国も治まるのである。宣旨というのは梵音声の一分である。万民の万言も一王の一言には及ばない。すなわち三墳・五典などというのは小王の言である。、この小国を治め、大梵天王が三界の衆生を随えること、仏の大梵天王・帝釈等をしたがえる事もこの梵音声である。これらの梵音声が一切経となって一切衆生を利益するのである。その中に法華経は釈迦如来の書き顕して、釈迦如来の音(こえ)を文字となしたのであり、仏の御心はこの文字に備わっている。たとへば種子と苗と草と稲とは、形は変わるけれども、その心(生命自体)は異ならない。
 釈迦仏と法華経の文字とは変わっているけれども心は一つである。そうであれば、d法華経の文字を拝見することは、生身の釈迦如来にお会いしているのだと思いなさい。あなたの志を佐渡の国まで送りつかわされたことは、すでに釈迦仏も御存じであろう。実に孝養の詮(究極の道である。、恐恐謹言。
 文永九年 月 日 日 蓮在御判
 四条三郎左衛門尉殿御返事