御書大好き!!

御書を拝読して感動したことなどを書きます。

大田殿許御書 1002頁 54歳御作

別名を「天台真言勝劣事」と言います。

書かれた年代については、色々説があるようですが、文永12年1月24日としておきます。

大田乗明個人あてとされていますが、内容は私信ではなく、門下のために法門を記されたものです。 特に真言について法華との勝劣を明らかにすべきだと述べられています。大聖人は、弘教の初期においては、真言を強く破られることはせず、念仏などの破折に力を注がれ、真言、特に台密について厳しい破折を加えられるのは身延御入山後です。

お手紙ではなく、年頭にあたって門下に教示されているということは、大田乗明へ宛てながら、門下に天台真言の誤りを明確に教えておこうとのご配慮があったと思われます。

 

大田殿許御書 文永十二年正月 五十四歳御作

 新春の御慶賀自他幸甚幸甚。

(新春のお祝いに対し、自他ともの、ますますの幸せを祈ります)

 そもそも俗諦(世間の真理)・真諦(仏法の真理)の中には勝負をつけることが大事である。世間・出世とも甲乙(どちらが優れているか)を以て第一の問題とするか。而るに諸経・諸宗の勝劣は三国の聖人共に之を存し、両朝の群賢同じく之を知っているようであるのに、法華経大日経天台宗真言宗との勝劣は、月支・日本においては未だ之を立て分けていない。西天(西の国)・東土(中国等)においても明らかにしていないのか。所詮、天台伝教のような聖人が、公場に於て是非を決しないで、明帝桓武のような国主も之を聞かないからか。

所謂、善無畏三蔵等は法華経大日経とは理は同じだが、事においては法華経より勝れている等と言った。慈覚・智証等も此の義に立っているようである。弘法大師法華経華厳経より低い教えであると下している等、此等の二義は共に釈迦の経文にはない。同じく勝手に自義を立てているのか。はたまた慈覚・智証等が表(文書)を作つて、之を天皇に上奏した。この申し出に随つて勅宣が有った。聞いている通りであれば、真言・止観両教の宗をば、同じく醍醐と呼び、ともに深秘と言っている。または譬え、なお人の両目や鳥の雙翼のようなものである等と。

又重誡の勅宣が有る。聞いた通りであるならば、比叡山延暦寺の僧等はひたすら先師の義に違背して、偏執の心をなしている。ほとんどこれによって、余風(伝教大師が残した教え)を扇揚することも、旧業(先人の偉業)を興隆することを顧みないでいる等云云。

余(私=日蓮)生れて末法の初に住み、学(=仏法に対する研究)諸賢(多数の賢人・聖人)の終りを禀(う)けている。

慈覚・智証が正義(しょうぎ)を主張していることに加えて、勅宣も何回も下されていて、疑いはない。一言をも口を出すべきではない。

しかしながら、円仁・円珍の両大師は先師である伝教大師の正義を略奪して、勅宣をいただいたのではないか、との疑いがあるだけでなく、仏の誡(いましめ)をのがれることは難しい。したがってまた亡国の因縁、謗法の源は之れ(慈覚・智証の邪義)に始まったのではないか。故に日蓮は世間の謗(そしり)を恐れずに、用いられるか、用いられないかも気にしないで、身命を捨ててこれをいうのである。

  疑っていう。善無畏・金剛智・不空の三三蔵や、弘法・慈覚・智証の三大師が二経(法華経大日経)に相対して勝劣を判断する時、あるいは理同事勝(理は同じく事においては勝る)、或は華厳経より下る等と言っている。したがって、また聖人や賢人の鳳文がある。数多くの徳の高い人々が、この之を用いて長い年が経過している。

これをよそにあなたは一つの教義を立てて、諸人を迷わせ、惑わせており、あまつさえ天下(全世界)の耳目を驚かしている。あなたは増上慢の者ではないのか。どうだ。

答えて言う。あなたたちが不審はもっともである。もっともである。如意論師が世親菩薩に対して明らかな誡めをした際の言葉はまさに是である。かの状に云く「徒党を組んでたすけあう多数の人々と何が仏法上の最高の道理かについて競ってはならない。また、群がり集まった迷いの衆生の中で仏法の正論を語ってはならない、と言い終わって死んだ」等と。あなたの御不審は之れに当っているか。

しかしながら、仏すなわち世尊は、法華経を演説するに法華経一経の内に、二度の流通分があり、さらに重ねて一経のうちに二度の流通分があり、さらに重ねて一経を説いて、法華経を流通している。

涅槃経に云く「もし善比丘(よい僧)がいて、法を壊る者を見て、置いて、呵責し駈遣し挙処せずんば、当に知るべし是の人は仏法の中の怨なり」等云云、善無畏・金剛智の両三蔵・慈覚・智証の二大師大日の権経をもって法華の実経を破壊せり。

 而るに日蓮が世間を恐れて之を言わなければ、仏敵となってしまうのであろうか。したがって章安大師は末代の学者を諫暁していうには「仏法を壊乱するは仏法の中の怨なり、慈無くして詐わり親しむのは、これ彼の人の怨である。よく糾治する者は即ち是れ彼が親である」等云云、

余は此の釈を見て肝(生命の奥底)に染めたがゆえに、身命を捨てて之を糾明する(正して明らかにする)であろう。提婆菩薩は付法蔵の第十四にあたり、師子尊者は二十五に当たる。或は提婆達多が命を失い、或は師子尊者が頭を刎らる等は是である。疑つていう。経経の自讃は諸経・常の習いである。いわゆる金光明経に云く「諸経の王」密厳経の「一切経中の勝」と、蘇悉地経には「三部の中に於て此の経を王と為す」と、法華経には「是れ諸経の王」等云云と説かれている。したがって四依の菩薩や両国の三蔵もこれらの経文のようであるが、どうであろう。

答えていう。大国・小国・大王・小王・大家・小家・尊主・高貴・各各分斉がある。そうだけれども、国国の万民は皆大王と号し、同じく天子と称している。だが、煎じ詰めて之を論ずれば、王でいえば、大梵天王を大王となし、経でいえば、法華経をもって天子と称するのである。

求めて言う。その証はどうだ。答えていう、金光明経の「是諸経之王」の文は梵釈(=大梵天王と帝釈天のこと)の諸経に相対し、密厳経の「一切経中勝」の文は、そのすぐ前に十地経・華厳経勝鬘経等を挙げて、それらの諸経に相対して、一切経の中に勝れていると言っている。蘇悉地経の文は現文之れを見るに三部の中に於て王と為す等と言っている。蘇悉地経大日経金剛頂経に相対して王と言っている。そうであるのに善無畏らはあるいは「理同事勝」或は「華厳経より下る」と言っている。これらのあやまった文は螢火を日月と同じだとし、大海を江河に入れようとするのであろうか。

 疑つていうには、経経の勝劣を論じて何の意味があるのか。

 答えていうには、法華経の第七に云く「よくこの経典を受持する者有れば、またまたこのようである。一切衆生の中においてまたこの人は第一である。」等と説かれている。この経(=法華経)の薬王品の十喩(十のたとえ)を挙げて、已今当の一切経に超過すると言っている。第八の譬は兼ねて上の経文にあわせて記されている。いわゆる仏の心の通りであるならば、経の勝劣を詮ずるだけではなく、法華経の行者は一切の諸人に勝れたるの由之れを説かれている大日経等の行者は諸山・衆星・江河・諸民である。法華経の行者は須弥山・日月・大海等である。そうであるのに、今の世は法華経を軽蔑すること土のようであり、民のようである。真言の僻人等を重崇して国師となることは、金のようであり、王のようである。これによって増上慢の者、国中に充満する。

青天は瞋(いかり)をなして黄地夭孼(おうじようけつ)を致す。涓(したたり)聚(あつま)りて墉塹(ようせん)を破るが如く、民の愁い積りて国を亡す等というのはこれである。

〈※ここの赤字のところの説明を読むと、今の平成から令和の世のことだと思いました。

まさに今の政治がよくないので(私的には公明党が重要視されていないことが問題と思っている、公明党は自民にとって代わるくらい人数を多くして大活躍するときがきていると思う。あくまで私の考えですけどね。自民党某大物議員の悪事を追及できてないこともアウト!)よって天が怒りをなして日食・月食・暴風雨・雷を起こし、大地は地震・洪水・噴火を起こすことが多くなった。これが黄地夭孼。涓(したたり)聚(あつま)りて墉塹(ようせん)を破るが如くというのは細く流れる水が集まって、城の壁や堀を破ること。城とありますが、人々の住居ととっていいのではないでしょうか。熱海の土石流の災害を思い出してしまいました。〉

 

問うていうには、内典外典の諸釈の中に、このような例はあるのか。

答えていうには、史臣の呉兢(ごきょう)が太宗に上(たてま)つる(=上奏した)表(=文書)に云く「ひそかに惟(おもんみ)れば(考えてみれば)太宗・文武(ぶんぶ)皇帝の、政化(=よく国を治め政治により民衆を教化し導くこと)は曠古(こうこ)より(=久しい昔から)之れ求むるに、いまだこのように盛んなる者はいません。

唐堯(堯王)・虞舜(舜帝)・夏の王・禹(う)・殷(いん)の湯王(とうおう)・周の文王(ぶんのう)武王(ぶおう)・前漢の文帝(ぶんてい)景帝(けいてい)といえども皆未だ逮(およ)ばないところであります。」等と。今この文書を見て、太宗皇帝を慢心の王と言うべきであろうか。(太宗の)政治の行われ方はきわめて巧みで優れたものであることを、先代の聖人に超えていると讃歎しているのである。

章安大師天台を讃めて云く「天竺(インド)の大論でさえなお、その類ではない。真丹(中国)の人師どうしてわずらわしく語る必要があろう。これは誇耀(こよう=自ら誇り見せびらかすこと)ではない。法相(経典に説かれた法の姿)が勝れているからである」等と。従義法師重ねて讃めていうには「竜樹・天親は未だ天台には及ばない」

伝教大師自讃して云く「天台法華宗の諸宗に勝るることは所依の経(法華経)によるが故に、自らを讃め他をそしっているのではない。庶(こいねがわ=ねがわくは)くば、有智の君子は経を尋ねて宗を定めよ」云云、又云く「能く法華を持つ者は亦衆生の中の第一である。すでに仏説によっている。どうして自讃であるといえようか」などと説かれている。今、愚見をもって之を考えるに善無畏・弘法・慈覚・智証等は皆仏意に違うだけではなく、あるいは法の盗人であり、あるいは伝教大師に逆っている邪悪な人である。故にあるいは閻魔王の責を蒙り、或は(慈覚は)墓が無く、或は(弘法は)通常人と同じように死去したにすぎないにも関わらず、弟子が入定したと言いはったり、あるいは(慈覚の門家・比叡山延暦寺と智証の門家・園城寺は)たびたび大火災にあい、また大軍に攻められている。(弘法や慈覚のこうした姿は)権者(=仏・菩薩が衆生救済のために仮の姿をもってあらわれた存在)は屍(しかばね)が辱められることはない、との古人の言葉に反するではないか。

疑つて言う。六宗のように真言宗の一宗も天台宗に降伏した文書はあるのか。

答う、法華文句記の巻十の末に之を載せている。したがって伝教大師は依憑集を造つて之を集められている。眼ある者は開いてこれを見なさい。冀哉(ねがわしきかな=願わくは)末代の学者(仏法を学ぶ者)は、妙楽、伝教の聖人の言葉にしたがい、善無畏や慈覚の凡言(凡夫の言葉)を用いてはならない。予が門家等、深くこのことをわきまえなさい。今生に人を恐れて後生に悪果を招くことがあってはならない。恐恐謹言。
 正月廿四日 日 蓮花押
 大田金吾入道殿