建治元年7月2日、大聖人が身延において大田乗明の夫人に与えられたお手紙です。
別名は「即身成仏抄」
この夫人は信心においても仏法教理の理解においても優れた人であったと思われます。乗妙に色々聞いて仏法がよくわかったとも推測されますし、お手紙も読んでもらっていたのかもしれませんが・・・。
法華経のみが二乗・凡夫の成仏を説いていることを明かし、即身成仏は法華経に限るのに、真言に即身成仏の法門を立て、かえって法華経を誹謗した善無畏や弘法等の誤りを厳しく破られています。
またインドから中国へ経典を渡した人々の中で、羅什のみが正しく本意を伝えたことを述べ、政道の誤りと仏法の誤りによって国が亡びようとしている、と指摘されています。
「大田なのか、太田なのか・・・日蓮大聖人の御書を読む」にはどちらも書かれていて、どっちが正しいかわかりませんでした。日蓮大聖人御書講義の方もどちらも使われていて、大田乗妙と書かれているのと、御書の題名のところは太田だったりするのもあるようでした。
太田殿女房御返事 建治元年 五十四歳御作
八月分の八木(はちぼく=米)を一石を頂戴しました。即身成仏という法門は諸大乗経や大日経等の経文に明白に記されている。そうだからと言ってその実義は法華経で初めて顕されるのであって、諸大乗経や大日経の人々が即身成仏できるというのは二種の増上慢に堕ち、必ず無間地獄へ入ってしまうのです。
法華文句記の第九には「そうであるならば二種の増上慢には浅深がないわけではない。(前者の)仏と衆生は一如であるという者は、自分自身を省みる心のない大恥知らずの人となる」とあります。(もう一つの三惑未断の凡夫の即身成仏については)諸の大乗経にある煩悩即菩提・生死即涅槃の即身成仏の法門は、非常に勝れて尊いようであるけれども、これはあえて即身成仏の法門ではありません。そのわけは二乗と呼ばれる者は、鹿野苑で【仏の教えを聞いて、】見惑・思惑の煩悩を断じて、いまだ塵沙、無明の煩悩を断じていない者が、我はすでに煩悩を断じ尽したと思って、無余涅槃に入って灰身滅智の者となってしまいました。灰身なので即身ではなく、滅智なので成仏の義もありません。であるなら凡夫は煩悩と業もあり、苦果の現身も失う事がないので、煩悩と業を種として報身・応身となることができ、苦果の現身があるから生死即涅槃といって法身如来ともなることができると説いて、二乗を叱り戒めたのです。
だからといって煩悩・業・苦が(法身・報身・応身の)三身の種とはなりえないのです。今、法華経にして※有余涅槃・無余涅槃の二乗がなくした煩悩・業・苦をとり出して即身成仏すると説かれた時、二乗が即身成仏したばかりか凡夫も即身成仏したのです。此の法門を詳しく考えを巡らせば、華厳・真言等の人人の即身成仏というのは、依経に文はあってもその義はあえてないという事です。
(※死を意味した涅槃が悟りの意味に用いられるようになると,迷いを断って悟りの境地に達しても, 肉体 が生存している期間を区別する必要があり,これを〈 有余涅槃 (うよねはん)〉といい,肉体の消滅した以後の状態を〈 無余涅槃 (むよねはん)〉と呼ぶようになった。)
僻事の起りは此れである。弘法・慈覚・智証等は此の法門に迷った人であると私は見ています。ましてやそれ以下の古徳・先徳等は言うに足りません。ただ天台の第四十六の座主、東陽の忠尋という人こそ、この法門を少し疑われた事はありました。それでも天台の座主・慈覚の末流にあたる人なので、いつわり愚かなまま死んでしまったのであろうか。その上日本国に生を受ける人はどうして心に思ったとしても言葉に出していうでしょうか。しかし釈迦・多宝・十方の諸仏・地涌・竜樹菩薩・天台・妙楽・伝教大師は即身成仏は法華経に限ると考えられていました。我が弟子等はこの事を思い出にしていくように。
妙法蓮華経の五字の中(の妙の字)について諸論師・諸人師の釈がまちまちにあるけれども、皆
法華経以前の諸経の域を出ていません。ただ竜樹菩薩の大論という論に「譬えば大薬師がよく毒をもって薬とするようなものである」という釈こそ、この一字(妙)を心得ているように思われます。
毒というのは苦集の二諦であり、生死の因果は毒の中の毒です。この毒を生死即涅槃・煩悩即菩提とするのを妙の極(至極)というのです。良薬というのは毒が変じて薬となったから良薬というのです。この竜樹菩薩は大論という文の第百巻に
華厳経や
般若経等は妙ではない、
法華経こそが妙であると釈されました。此の大論は竜樹菩薩の論であり、羅什三蔵という人が漢土(中国)へ渡したのです。天台大師は此の法門をご覧になって南北の人師を破折されたのです。
ところが漢土・唐の中ごろ、日本では
弘仁以後の人々の誤りが出てきたのは、唐の第九・代宗皇帝の御宇に不空三蔵という人が天竺(インド)より渡した論があり、
菩提心論という。この論は竜樹の論と言われています。この論に云く「ただ
真言法の中にのみ即身成仏するので、これ三摩地の法を説いたのである。諸教の中には欠けて書いてないものである。」と申す文がある。
此の釈にだまされて弘法・慈覚・智証等の法門はさんざんの事にては候なり、但し大論は竜樹の論たる事は自他あらそう事なし、
菩提心論は竜樹の論であると言ったり、不空の論であるとしたりする争いがある。これはいずれにしても、今は言及しないことにします。ただ不審なる事は、大論の心(精神)ならば即身成仏は
法華経に限ります。これは文にも明白で道理も極まっている。
菩提心論が竜樹の論であると言うとも、大論にそむいて
真言でも即身成仏できるとしていることになる上、「唯」の一字、つまり
真言だけが即身成仏というのは、強引な説に見えます。どの経文によって「唯」の一字を
真言に置いて、
法華経の即身成仏を破しているのか、その証文を尋ねるべきです。
竜樹菩薩の十住毘婆娑論に云く「経に依らない法門は黒論(邪論)」とあります。自語相違はあってはならないのです。
また大論の百の巻には「しかも法華等で阿羅漢に成仏の記別を授けられたことは(中略)たとえていうと、大薬師がよく毒をもって薬とするようなものである」等とあります。この釈こそ
法華経の即身成仏の道理が書かれたものです。ただし
菩提心論と大論は、同じ竜樹菩薩の論であるとすれば、水火の違いをどのように考えたらよいのだろうかと思って、よく見ると、これは竜樹が異なる説を説いたのではなく訳者のせいなのです。羅什の舌は焼けませんでしたが、不空の舌は焼けてしまいました。妄語(うその訳者の舌)は焼け、真実を伝えた舌は焼けなかったということは明らかです。月支(インド)より漢土(中国)へ経論を伝える人は、一百七十六人いました。その中に羅什一人だけが教主
釈尊の経文に自分の考えを入れなかった人でした。一百七十五人の中で羅什の前後一百六十四人は羅什の智をもって推し量ることができます。羅什が来たことによって、前後一百六十四人の誤りも顕れ、新訳の十一人の誤りも顕れ、又訳者が利口げになってきたのも羅什がいたからです。これ私の義にはあらず。感通伝に云く「絶後光前(羅什のような訳者は)後代には絶えてなく、前代を光り輝かす」とある。前代を光らすというのは
後漢より
後秦の代までの訳者のことで、後代に絶えていないとは、羅什以後の善無畏、金剛智、不空等が羅什の智をうけて・少し巧みになったということです。
感通伝には「羅什以後の訳者は皆羅什を拠り所にした。」とあります。それゆえ、この
菩提心論の「唯」の文字はたとえ竜樹の論であっても、不空自身の言葉です。ましてや次の文に「(
真言以外の)諸教の中に於て、欠けていて書かれていない」と書かれているのは存外のあやまりである。 即身成
仏の手本である
法華経をさしおいて、その片鱗すらあかしていない
真言に即身成仏を立て、そればかりか「唯」の一字を置いたことは・天下第一の誤った考えです。これはひとえに修羅根性から出た法門です。
天台智者大師の法華文句の九の巻に、寿量品の心を釈して「仏は三世において等しく
三身を具えているので、諸教の中に於て之を秘して伝えず」とかかれています。これこそ即身成仏の明文であります。不空三蔵はこの釈を消すために、事を竜樹に依せて「ただ
真言の法の中にのみ、即身成仏するが故にこの三摩地の法を説いた。諸教の中には書かれていない」と書いたのです。したがって、この論の次下に即身成仏を書かれていますが、まったく即身成仏ではなく、【
華厳経等の菩薩の】生身得忍に似たものにすぎません。この人(不空三蔵)は即身成仏が
尊い法門であるとは聞いていましたが、即身成仏の実義はあえて伺い知ることのない人だったのです。
まことに即身成仏は二乗の成仏と仏の久遠実成を説かれている
法華経にだけあるべき事なのです。天台大師の「於諸教中秘之不伝(諸経の中には隠して伝えていない)」の釈がありますが、千旦千旦(
栴檀の香りのように他に抜きんでた勝れた法門なのです。)恐恐。
(需教等の)
外典三千余巻は政道に相違すれば世の中が濁ると明かし、内典(仏教)五千・七千余巻の経典には仏法のあやまった考えによって世の中が濁ると明かされています。今の世は
外典にも相違し(違背し)、内典にも違背しているが故に、大科(大きな罪)が一国に起こってすでに国が亡びようとしているのです。不便不便。(まことに不憫なことです)
七月二日 日 蓮花押
太田殿女房御返事