御書大好き!!

御書を拝読して感動したことなどを書きます。

清澄寺大衆中 893頁 55歳御作

建治二年正月11日、身延で著されて、安房国清澄寺の大衆に与えられた御消息です。

前年12月26日に、真言僧、強仁(ごうにん)より法論対決を迫る書状が届いており、真言宗と公場で対決する可能性が生まれたので、それに備えて天台・真言の疏釈を借用するために本抄をしたためられたもので、あわせて清澄寺の大衆を教導されたものでしょう。佐渡房日向らが使者として伝えたようです。

 

清澄寺大衆中 建治二年正月 五十五歳御作

 新春の慶賀、自他ともに何よりの幸せである。去年来られなかったが、どうしたのだろう、きっと事情があったのだろう。

さて、(身延へ)参詣しようと思われるならば、伊勢公の御房から十住心論・秘蔵宝鑰・二教論等の真言の疏(注釈書)を借りてきてください。このことは真言師が大勢騒いでいるのでこういうのである。また魔訶止観の第一と第二の巻を携えてきてほしい。東春、輔正記などもあるであろうか。円智房の御弟子に観智房の持っている宗要集も貸してもらっていただきたい。それだけでなく、文書があるということも人人が申していた。すぐに返す旨を言って借りてきてもらいたい。今年はことに仏法の邪正がただされるべき年であろう。浄顕の御房・義城房等には言ってください。日蓮が度度・殺害されようとし、並びに二度まで流罪され、頸(くび)を切られようとした事は、別に世間の罪があったからではない。生身の虚空蔵菩薩より大智慧をいただいた事があった。日本第一の智者にしてくださいと申しあげた事を、不便と思われたのであろう。明星の如くなる大宝珠を与えられて、右の袖に受け取ったために、一切経を見たところ、八宗並びに一切経の勝劣をほぼ知ることができた。

その上真言宗法華経を失う(滅ぼす)宗である。これは大事であるので、まず序分に禅宗念仏宗の僻見を責めてみようと思う。その故は月氏(インド)や漢土(中国)の仏法の邪正はしばらく之を置く(差し置く)。日本国の法華経の正義(しょうぎ)を失って一人ももれなく人々が悪道に堕ちる事は、真言宗が影の身に随うように、多くの山々、寺々ごとに法華宗真言宗を一緒に添えて、法に説く通りの法華経の修行に十八道という真言の修行を添え、懺悔の法に阿弥陀経を加へ、天台宗の学者の灌頂の儀式に際し、真言宗を正とし法華経を傍としたので、真言の経というのは爾前権経の内の華厳・般若にも劣っているのを慈覚・弘法はこれに迷ってあるいは法華経と同じ、あるいは勝れているなどと言って、仏像を開眼するのにも仏眼尊と大日如来の印・真言をもって開眼供養をするために、日本国の木画の諸の像は皆、無魂無眼の(魂のない、眼のない)者となってしまった。結句は天魔入り替つて檀那をほろぼす仏像となってしまった。王法が尽きようとしているのはこのためである。悪法である真言宗が鎌倉に来て又日本国を滅ぼそうとしている。

その上禅宗・浄土宗などというのは、また、言いようのない僻見の者である。これを言えば、必ず日蓮の命にかかわることになるであろうと承知していたけれども、虚空蔵菩薩の御恩を報ずるために、建長五年四月二十八日、安房の国東条の郷、清澄寺の道善の房の持仏堂の南面にして、浄円房と申す者並びに少しばかりの大衆に、これをいいはじめてその後二十余年が間・退転することなく言ってきた。あるいは所を追い出され、あるいは流罪されたりした。昔は聞く、不軽菩薩が杖木等の難に遭ったと。今は見る、日蓮が刀剣の難に当る事を。

日本国の有智・無智・上下の万人がいう、日蓮法師は昔の論師、人師、大師、先徳にすぐれるはずがないと。日蓮はこの不審をはらすために正嘉・文永の大地震、大長星(大彗星)を見て考えて言った。我が国に二つの大難あるであろう。所謂自界叛逆難・他国侵逼難なり、自界叛逆難は鎌倉に権の大夫殿(北条義時)の御子孫の同士討ちが起こるであろう。他国侵逼難は四方よりあるであろう。その中でも西より強く攻めてくるであろう。これひとえに仏法が一国こぞって邪(よこしま)であるために、梵天・帝釈が他国に仰せつけて攻められるのである。
 日蓮を用いないでいるならば将門・純友・貞任・利仁・田村のような将軍が百千万人いても叶いはしない。これがまことでないならば、真言と念仏等の僻見を信じようと申しひろめてきた。

就中(なかんずく)清澄山の大衆は日蓮を父母にも、三宝にも劣ると思われるならば、今生には貧窮の乞者(こじき)の身となり、後生には無間地獄に堕ちるであろう。なぜならば、東条左衛門景信が悪人として、清澄寺の飼っている鹿等を狩り取り、各房の法師等を念仏者の所従にしようとしたときに、日蓮が敵として領家の味方となり、清澄・二間の二箇の寺が東条方につくならば、日蓮法華経を捨てようと真心からの起請文をかいて、日蓮が御本尊の手に結び付けて祈って、一年の内に両寺は東条方の手を離れたのである。このことは虚空蔵菩薩も、どうして捨てられるだろうか。清澄寺の大衆も日蓮を信じようとしない人々は、諸天に捨てられないことがあろうか。こういえば愚癡の者は、我を呪っているというであろうが、後生に無間地獄に堕ちるのがかわいそうなので言うのである。
 領家の尼御前は女性である。愚かなので人々が色々言って脅すと、そうかと思っておられるのであろう。けれども恩を知らない人となって後生に悪道に堕ちられることがかわいそうであるし、また、一つには日蓮の父母等に恩をかほらせたる人であるので、なんとしても後生を助けてさしあげようと祈っている。

法華経と言うお経は、別のことを説いているのではない。「我(釈尊)は過去・五百塵点劫より昔からの仏である。又舎利弗等は未来に仏になるであろう」と、これを信じない者は無間地獄に堕ちるだろう。我のみがこう申すのではない。多宝仏も証明し、十方の諸仏も舌を出して証明し、こういっている。地涌千界の文殊、観音、梵天、帝釈、日月・四天王、十羅刹女法華経の行者を守護しますと説かれている。それゆえ仏になる道は別の方法はない。過去の事・未来の事を言い当てているのが、まことの法華経になのである。
 日蓮は未だ筑紫(九州)を見たことはないし、蒙古も知らない。一切経をもって考えてのべたところが、その予言はすでに的中した。もしそうであるならばあなた方は不知恩の人なるので、無間地獄に堕ちられるであろうといったことが違うことがあろうか。今はいいとして、後をご覧なさい。日本国は当時の壱岐対馬のようになるであろう。その時安房の国に蒙古が寄せてきて責めるとき、日蓮房の言っていたことが合った、と言いながら、偏執の法師等が口をすくめて無間地獄に堕ちるであろうことは、不便なり不便なり(かわいそうなことである)。
 正月十一日 日 蓮 花押
 安房の国清澄寺大衆中
 このふみはさど殿(日向)と・すけあざり御房とが、虚空蔵の御前にして大衆ごとに・よみきかせ給へ。