(304)単衣抄
建治元年(ʼ75)8月 54歳 南条殿の縁者
単衣一領、送り給び候い畢わんぬ。
法華経の第四に云わく「如来の在世すらなお怨嫉多し」等云々。第五に云わく「一切世間に怨多くして信じ難し」等云々。天台大師も、恐らくは、いまだこの経文をば(身で)よみ給わず。一切世間、皆信受せし故なり。伝教大師も及び給うべからず。「いわんや滅度して後をや」の経文に符合しなかったからです。日蓮が日本国に出現しなかったならば、如来の金言も虚しくなり、多宝の証明も何になりましょうか。十方の諸仏の御語も妄語となったでしょう。仏の滅後二千二百二十余年、月氏・漢土・日本に「一切世間多怨難信(一切世間に怨多くして信じ難し)」の経文を身で読んだ人はいません。日蓮が出現しなかったならば、仏語は既に絶えてしまったでしょう。
このような身なので、蘇武がごとく雪を食として命を継ぎ、李陵がごとく簑(みの)をきて世を過ごしています。山林に交わって、果(このみ)なき時は空腹のまま二、三日を過ごしました。鹿の皮破れぬれば裸にして三・四月に及べり。このような者を、何としてか哀れとおぼしけん、いまだ見参にも入らぬ人の、膚を隠す衣を送り給び候こそ、何とも言いようがないほどありがたく思っています。この帷(かたびら)をきて仏前に詣でて法華経を読み奉り候いなば、御経の文字は六万九千三百八十四字、一々の文字は皆金色の仏なり。衣は一つなれども、六万九千三百八十四仏に一々に着せまいらせることになります。それゆえ、この衣を御供養いただいたので、夫妻二人ともに、この仏が訪れて、「我が檀那である」と守ってくださるでしょう。今生には、祈りとなり、財となり、御臨終の時は、月となり、日となり、道となり、橋となり、父となり、母となり、牛馬となり、輿となり、車となり、蓮華となり、山となり、二人を霊山浄土へ迎え入れてくださるでしょう。南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経。
建治元年乙亥八月 日 日蓮 花押
この文は、藤四郎殿女房と、常により合いて御覧あるべく候。