御書大好き!!

御書を拝読して感動したことなどを書きます。

念仏無限地獄抄 全97頁 新748頁

建長7年に書かれたとされる。

【要約】

念仏は無間地獄の業を積む因である。法華経譬喩品には「方便の教え(念仏)を信じ、真実の法華を毀謗すれば仏種を断じて無間地獄に入る」とある。毀謗は不信であり、大事なのは信である。信は功徳の母だからである。その上、浄土宗は父である釈尊を捨て、他人の阿弥陀仏を信じるから無間地獄に堕ちるのである。主師親の三徳を具え、大恩ある釈尊を信じないのは、さまざまな逆罪を犯す人である。(「日蓮大聖人の御書をよむ」から要約の最初の部分を引用しました。以下略します)

 

昔の話ですが、私が信心を始めた時、まだうちの家に御本尊がなくて、浄土宗の仏壇があったので、毎月お寺の坊さんが拝みに来てました。それで、私はこの御書が気になって読んだものです。新版御書の本文を載せておきます。わかりにくそうなところは現代語に変えておこうと思います。講義録2巻下が見つかりました。

 

(051)

念仏無間地獄抄

 建長7年(ʼ55) 34歳

 念仏は無間地獄の業因なり、法華経は成仏得道の直路なり。早く浄土宗を捨てて法華経を持ち、生死を離れて菩提を得べきこと。
 法華経第二の譬喩品に云わく「もし人信ぜずして、この経を毀謗せば、則ち一切世間の仏種を断ぜん。その人は命終して、阿鼻獄に入らん。一劫を具足して、劫尽きなば、さらに生まれん。かくのごとく展転して、無数劫に至らん」云々。この文のごとくんば、方便の念仏を信じて真実の法華を信ぜざらん者は、無間地獄に堕つべきなり。
 念仏者云わく、我らが機は法華経に及ばざるあいだ、信ぜざるばかりなり。毀謗することはなし。何の科にて地獄に堕つべきか。
 法華宗云わく、信ぜざる条(件)は承伏するのか。次に、「毀謗」と云うは、即ち不信なり。「信は道の源、功徳の母」と云えり。菩薩の五十二位には十信を本となし、十信の位には信心を始めとなし、諸の悪業・煩悩は不信を本となす云々。しかれば、譬喩品の十四誹謗も不信をもって体となせり。今の念仏門は、不信といい誹謗といい、いかでか「阿鼻獄に入らん」の句を遁れんや。

 その上、浄土宗には、現在の父たる教主釈尊を捨てて他人たる阿弥陀仏を信ずる故に、五逆罪の咎(とが)によって必ず無間大城に堕つべきなり。経に「今この三界は、皆これ我が有なり」と説き給うは、主君の義なり。「その中の衆生は、ことごとくこれ吾が子なり」と云うは、父子の義なり。「しかるに今この処は、諸の患難多し。ただ我一人のみ、能く救護をなす」と説き給うは、師匠の義なり。しかして、釈尊付嘱の文にこの法華経をば「付嘱して在ること有らしめん」云々。いずれの機か漏るべき。誰人か信ぜざらんや。しかるに、浄土宗は、主師親たる教主釈尊の付嘱に背いて、他人たる西方極楽世界の阿弥陀如来を憑む故に、主に背けり。八逆罪の凶徒なり。違勅の咎、遁れ難し。即ち朝敵なり。いかでか咎無けんや。次に、父の釈尊を捨つる故に、五逆罪の者なり。どうして無間地獄に堕ちないことがあろうか。次に、師匠の釈尊に背く故に、七逆罪の人である。なんとしても悪道に堕ちないわけがない。
 かくのごとく、教主釈尊は、娑婆世界の衆生には主師親の三徳を備えて大恩の仏にて御坐します。この仏を捨てて他方の仏を信じ、弥陀・薬師・大日等を憑み奉る人は、二十逆罪の咎によって悪道に堕ちるのである。
 浄土三部経とは、釈尊一代五時の説教の内、第三方等部の内より出でたり。この四巻三部の経は、全く釈尊の本意にあらず。三世の諸仏の出世の本懐にもあらず。ただしばらく衆生誘引の方便なるのみ。譬えば、塔をくむに足代(あししろ)をゆうがごとし。念仏は足代なり、法華は宝塔なり。法華を説き給うまでの方便なり。法華の塔を説き給いて後は、念仏の足代をば切り捨つべきなり。しかるに、法華経を説き給いて後に念仏に執著するは、塔をくみ立てて後に足代(あししろ)に著して塔を用いざる人のごとし。あに違背の咎無からんや。
 しかれば、法華の序分たる無量義経には「四十余年にはいまだ真実を顕さず」と説き給いて念仏の法門を打ち破り給う。正宗たる法華経には「正直に方便を捨てて、ただ無上道を説くのみ」と宣べ給いて念仏三昧を捨て給う。これによって、阿弥陀経の対告衆たる長老舎利弗尊者は、阿弥陀経を打ち捨てて、法華経に帰伏して華光如来と成り畢わんぬ。四十八願付嘱の阿難尊者も、浄土の三部経を抛って、法華経を受持して山海慧自在通王仏と成り畢わんぬ。阿弥陀経の長老舎利弗は、千二百の羅漢の中に智慧第一の上首の大声聞にして閻浮提第一の大智者なり。肩を並ぶる人なし。阿難尊者は多聞第一の極聖にして釈尊一代の説法を空に誦せし広学の智人なり。かかる極位の大阿羅漢すら、なお往生・成仏の望みを遂げず。仏の在世の祖師かくのごとし。祖師の跡を踏むべくば、三部経を抛って法華経を信じ、無上菩提を成ずべきものなり。
 仏の滅後においては、祖師・先徳多しといえども、大唐楊州の善導和尚にまさる人なし。唐土第一の高祖なり云々。始めは楊州の明勝といえる聖人を師となして法華経を習いたりしが、道綽禅師に値って浄土宗に移り、法華経を捨てて念仏者と成れり。一代聖教において聖道・浄土の二門を立てたり。法華経等の諸大乗経をば聖道門と名づけ、自力の行と嫌えり。「聖道門を修行して成仏を願わん人は、百人にまれに一人二人、千人にまれに三人五人得道する者や有らんずらん、乃至千人に一人も得道なきことも有るべし」。観経等の三部経を浄土門と名づけ、「この浄土門を修行して、他力本願を憑んで往生を願わん者は、十は即ち十生じ、百は即ち百生ず」とて、十人は十人、百人は百人、決定して往生すべしとすすめたり。
 観無量寿経を所依となして四巻の疏を作る。玄義分・序分義・定善義・散善義これなり。その外、法事讃上・下、般舟讃、往生礼讃、観念法門経、これらを九帖の疏と名づけたり。
 善導念仏し給えば口より仏の出で給うと云って、称名念仏一遍を作すに三体ずつ口より出で給いけりと伝えたり。毎日の所作には阿弥陀経六十巻・念仏十万遍、これを欠くことなし。諸の戒品を持って一戒も破らず。三衣は身の皮のごとく脱ぐことなく、鉢瓶は両眼のごとく身を離さず、精進潔斎す。女人を見ざること一期生、眠らざること三十年なりと自歎す。
 およそ善導の行儀法則を云えば、酒肉五辛を制止して、口に齧まず、手に取らず。未来の諸の比丘もかくのごとく行ずべしと定めたり。一度酒を飲み肉を食らい五辛等を食らい念仏申さん者は、三百万劫が間地獄に堕つべしと禁めたり。善導が行儀法則は本律の制に過ぎたり。法然房が起請文にも書き載せたり。一天四海、善導和尚をもって善知識と仰ぎ、貴賤上下、皆ことごとく念仏者と成れり。
 ただし、一代聖教の大王、三世の諸仏の本懐たる法華の文には「もし法を聞くことあらば、一りとして成仏せざることなけん」と説き給えり。善導は「法華経を行ぜん者は、千人に一人も得道の者有るべからず」と定む。いずれの説に付くべきか。無量義経には念仏をば「いまだ真実を顕さず」とて、実にあらずと言う。法華経には「正直に方便を捨てて、ただ無上道を説くのみ」とて、正直に念仏の観経を捨てて無上道の法華経を持つべしと言う。この両説水火なり。いずれの辺に付くべきや。善導が言を信じて法華経を捨つべきか、法華経を信じて善導の義を捨つべきか、いかん。

日本国には、法然上人、浄土宗の高祖なり。十七歳にして一切経を習い極め、天台六十巻に渡り、八宗を兼学して一代聖教の大意を得たりとののしり「天下無双の智者、山門第一の学匠なり」云々。しかるに、天魔やその身に入りにけん、広学多聞の智慧も空しく、諸宗の頂上たる天台宗を打ち捨てて、八宗の外なる念仏者の法師と成りにけり。大臣・公卿の身を捨てて民百姓と成るがごとし。選択集と申す文を作って一代五時の聖教を難じ破し、念仏往生の一門を立てたり。「仏説法滅尽経に云わく『五濁悪世に魔道興盛し、魔は沙門と作って我が道を壊乱せん。悪人転た多くして海中の沙のごとし。善人はなはだ少なくして、もしは一人、もしは二人ならん』云々。即ち法然房これなり」と山門の状に書かれたり。我が浄土宗の専修の一行をば五種の正行と定め、権実・顕密の諸大乗をば五種の雑行と簡って、浄土門の正行をば、善導のごとく、決定して往生すべしと勧めたり。
 観経等の浄土の三部経の外、一代顕密の諸大乗経、大般若経を始めとなして終わり法常住経に至るまで、貞元録に載するところの六百三十七部二千八百八十三巻は、皆これ「千中無一」の徒物なり、永く得道有るべからず、難行・聖道門をば、門を閉じ、これを抛ち、これを閣き、これを捨て、浄土門に入るべしと勧めている。
 一天の貴賤首を傾け、四海の道俗掌を合わせ、あるいは勢至の化身と号し、あるいは善導の再誕と仰ぎ、一天四海になびかぬ木草なし。智慧は日月のごとく世間を照らして肩を並ぶる人なし。名徳は一天に充ちて善導に超え、曇鸞道綽にも勝れたり。貴賤上下は、皆、選択集をもって仏法の明鏡なりと思い、道俗・男女は、ことごとく法然房をもって生身の弥陀と仰ぐ。しかりといえども、恭敬・供養する者は愚癡・迷惑の在俗の人、帰依・渇仰する人は無智・放逸の邪見の輩なり。権者においてはこれを用いず、賢哲またこれに随うことはない。
 しかるあいだ、斗賀尾の明恵房は、天下無双の智人にして広学多聞の明匠なり。摧邪輪三巻を造って選択の邪義を破す。三井寺の長吏・公胤大僧正は、希代の学者にして名誉の才人なり。浄土決疑集三巻を作って専修の悪行を難ず。比叡山の住侶・仏頂房隆真法橋は、天下無双の学匠にして山門探題の棟梁なり。弾選択上下を造って法然房が邪義を責めている。
 そればかりか、南都・山門・三井より度々奏聞を経て、法然が選択の邪義は亡国の基たる旨訴え申すによって、人王八十三代土御門院の御宇、承元元年二月上旬に、専修念仏の張本たる安楽・住蓮等は捕縛され、たちまちに頭を刎ねられ畢わんぬ。法然源空は遠流の重科に沈み畢わんぬ。その時の摂政左大臣家実と申すは、近衛殿の御事である。このことは皇代記に見えている。誰かこれを疑うであろうか。


 そればかりか、法然房死去の後も、また重ねて山門より訴え申すによって、人王八十五代後堀河院の御宇、嘉禄三年、京都六箇所の本所より法然房が選択集ならびに印板を責め出だして、大講堂の庭に取り上げて、三千の大衆会合し、「三世の仏恩を報じ奉るなり」とてこれを焼失せしめ、法然房が墓所をば犬神人に仰せ付けてこれを掘り出だして、鴨河に流されてしまった。
 宣旨・院宣・関白殿下の御教書を五畿七道に成し下されて、六十六箇国に念仏の行者、一日片時もこれを置くべからず、対馬の島に追い遣るべきの旨、諸国の国司に仰せ付けられ畢わんぬ。これらの次第、両六波羅の注進状、関東相模守の請け文等、明鏡なるものなり。嘉禄三年七月五日に山門に下さるる宣旨に云わく、専修念仏の行は諸宗衰微の基なり。これに因って代々の御門、しきりに厳旨を降され、殊に禁遏を加うるところなり。ところが、頃年また興行を構え、山門訴え申さしむるのあいだ、先符に任せて仰せ下さるること先に畢わんぬ。その上、かつは仏法の陵夷を禁ぜんがため、かつは衆徒の鬱訴を優らぐるによって、その根本と謂わるる隆寛・成覚・空阿弥陀仏等をもってその身を遠流に処せしむべきの由、不日に宣下せらるるところなり。余党においては、その在所を尋ね捜して、帝土を追却すべきなり。この上は早く愁訴を慰んじて蜂起を停止すべきの旨、時刻を回らさず御下知有るべく候。ていれば、綸言かくのごとし。頼隆、誠恐頓首謹言。
  七月五日酉刻    右中弁頼隆 奉る
 進上 天台座主大僧正御房政所

 同七月十三日山門に下さるる宣旨に云わく、
 専修念仏興行の輩を停止すべきの由、五畿七道に宣下せられ畢わんぬ。かつは御存知あるべく候。綸言かくのごとし。これを悉くせ。頼隆、誠恐頓首謹言。
  七月十三日    右中弁頼隆 奉る
 進上 天台座主大僧正御房政所