文永元年(1264年)9月22日、安房国花房の蓮華寺で浄円房に与えられた書。
小松原の法難の50日前にあらわされた書である。
(055)
当世念仏者無間地獄事
文永元年(ʼ64)9月22日 43歳
問うて曰わく、当世の念仏者は無間地獄と云うこと、その故いかん。
答えて云わく、法然の選択について云うなり。
問うて云わく、その選択の意、いかん。
答えて曰わく、後鳥羽院の治天下建仁年中に日本国に一つの彗星出でたり。名づけて源空法然と曰う。選択一巻を記して六十余紙に及べり。科段を十六に分かつ。
第一段の意は、道綽禅師の安楽集に依って、聖道・浄土の名目を立つ。その聖道門とは、浄土三部経等を除いてより自余の大小乗の一切経、殊には朝家帰依の大日経・法華経・仁王経・金光明経等の顕密の諸大乗経の名目、阿弥陀仏より已外の諸の仏菩薩、朝家御帰依の真言等の八宗の名目、これを挙げて聖道門と名づく。この諸経・諸仏・諸宗は正像の機に値うといえども、末法に入ってこれを行ぜん者は、一人も生死を離るべからず云々。また曇鸞法師の往生論註に依って、難・易の二行を立つ。
第二段の意は、善導和尚の五部九巻の書に依って、正・雑の二行を立つ。その雑行とは、道綽の聖道門の料簡のごとし。また、この雑行は、末法に入っては往生を得る者、千の中に一りも無きなり。
下の十四段には、あるいは聖道・難行・雑行をば小善根・随他意・有上功徳等と名づけ、念仏等をもっては大善根・随自意・無上功徳等と名づけて、念仏に対し、末代の凡夫、これを捨てよ、この門を閉じよ、これを閣け、これを抛て等の四字をもって、これを制止す。
しかして、日本国中の無智の道俗より始めて、大風に草木の従うがごとく皆この義に随って、たちまちに法華・真言等に随喜の意を止め、建立の思いを廃す。しかるあいだ、人ごとに平形の念珠をもって弥陀の名号を唱え、あるいは毎日三万遍・六万遍・十万遍・四十八万遍・百万遍等唱うるあいだ、また他の善根も無く、念仏堂を造ること稲麻・竹葦のごとく、結句は、法華・真言等の智者とおぼしき人々も、皆、あるいは帰依を受けんがために、あるいは往生極楽のために、皆、本宗を捨てて念仏者と成り、あるいは本宗にして念仏の法門を仰げるなり。
今云わく、日本国中の四衆の人々は、形は異なり替わるといえども、意根は皆一法を行じて、ことごとく西方の往生を期す。仏法繁昌の国と見えたるところに、一つの大いなる疑いを発することは、念仏宗の亀鏡と仰ぐべき智者たち、念仏宗の大檀那たる大名・小名ならびに有徳の者、多分は臨終思うがごとくならざるの由、これを聞き、これを見る。しかるに、善導和尚は「十は即ち十生ず」と定め、十遍乃至一生の間念仏する者は一人も漏れず往生を遂ぐべしと見えたり。人の臨終と善導の釈とは水火なり。
ここに念仏者会して云わく、往生に四つ有り。一には意念往生。般舟三昧経に出でたり。二には正念往生。阿弥陀経に出でたり。三には無記往生。群疑論に出でたり。四には狂乱往生。観経の下品下生に出でたり。
詰って曰わく、この中の意・正の二つはしばらくこれを置く。無記往生はいずれの経論に依って懐感禅師これを書けるや。経論にこれ無くんば信用取り難し。
第四の狂乱往生とは、引証は観経の下品下生の文なり。第一に、悪人臨終の時、妙法を覚れる善知識に値って、覚るところの諸法実相を説かしむるに、これを聞く者、正念存し難く、十悪五逆、諸の不善を具する苦に逼められて妙法を覚ることを得ざれば、善知識、実相の初門たる故に、「称名して阿弥陀仏を念ぜよ」と云うに、音を揚げて唱え了わんぬ。これは苦痛に堪え難くして正念を失う。狂乱の者にあらざるか。狂乱の者、いかでか十念を唱うべき。例せば、正念往生の摂むるところなり。全く狂乱の往生には例すべからず。
しかして、汝等が本師と仰ぐところの善導和尚は、この文を受けて転教口称とは云えども、狂乱往生とは云わず。その上、汝等が昼夜十二時に祈るところの願文に云わく「願わくは、弟子等よ、命終の時に臨んで心顚倒せず、心錯乱せず、心失念せざれ。身心諸の苦痛なく、身心快楽、禅定に入るがごとし」等云々。この中に錯乱とは狂乱か。
しかるに、十悪五逆を作らざる当世の念仏の上人たち、ならびに大檀那等の、臨終の悪瘡等の諸の悪重病ならびに臨終の狂乱は、意を得ざることなり。しかるに、善導和尚は「十即十生」と定め、また「定めて往生を得」等の釈のごときは疑いなきのところに、十人に九人往生すといえども、一人も往生せざれば、なお不審発るべし。いかにいわんや、念仏宗の長者たる善慧・隆寛・聖光・薩生・南無・真光等、皆悪瘡等の重病を受けて臨終に狂乱して死するの由、これを聞き、またこれを知る。それより已下の念仏者の臨終の狂乱、その数を知らず。善導和尚の定むるところの「十即十生」は闕けて、嫌えるところの「千中無一」と成りぬ。「千中無一」と定められし法華・真言の行者は、ほぼ臨終の正念なる由、これを聞けり。
念仏の法門においては、正像末の中には末法に殊に流布すべし、利根・鈍根、善人・悪人、持戒・破戒等の中には鈍根・悪人・破戒等、殊に往生すべしと見えたり。故に、道綽禅師は「ただ浄土の一門のみ有り」と書かれ、善導和尚は「十即十生」と定め、往生要集には「濁世末代の目足」と云えり。念仏は時機すでに叶えり、行ぜん者空しかるべからざるのところに、かくのごとき相違は大いなる疑いなり。もしこれによって本願を疑わば、仏説を疑うに成りぬ。進退これ谷まれり。この疑いをもって念仏宗の先達ならびに聖道の先達にこれを尋ぬるに、一人として答うる人これ無し。
念仏者救って云わく、汝は法然上人の「捨閉閣抛」の四字を謗法と過むるか。汝が小智の及ばざるところなり。故に、上人この四字を私にこれを書く、と思えるか。源は曇鸞・道綽・善導の三師の釈よりこれを出だしたり。三師の釈、また私にあらず。源は浄土三部経・竜樹菩薩の十住毘婆沙論より出ず。
双観経の上巻に云わく「たとい我仏を得んに、乃至十念して」等云々。第十九の願に云わく「たとい我仏を得んに、諸の功徳を修し、菩提心を発すも」等云々。下巻に云わく「乃至一念」等云々。第十八の願成就の文なり。また下巻に云わく「その上輩は○一向専念、その中輩は○一向専念、その下輩は○一向専念」云々。これは十九の願成就の文なり。観無量寿経に云わく「仏、阿難に告げたまわく『汝好くこの語を持て。この語を持つとは、即ちこれ無量寿仏の名を持つ』と」等云々。阿弥陀経に云わく「小善根をもってすべからず乃至一日、七日」等云々。
まず双観経の意は、念仏往生・諸行往生と説けども、一向専念と云って諸行往生を捨て了わんぬ。
故に、弥勒の付嘱には、一向に念仏を付嘱し了わんぬ。観無量寿経の十六観も、上の十五の観は諸行往生、下輩の一観の三品は念仏往生なり。仏、阿難尊者に念仏を付嘱するは、諸行を捨つる意なり。阿弥陀経には双観経の諸行、観無量寿経の前十五観を束ねて小善根と名づけ、往生を得ざるの法と定め畢わんぬ。双観経には念仏をば無上功徳と名づけて弥勒に付嘱し、観経には念仏をば芬陀利華と名づけて阿難に付嘱し、阿弥陀経には念仏をば大善根と名づけて舎利弗に付嘱す。終わりの付嘱は一経の肝心を付嘱するなり。また一経の名を付嘱するなり。三部経には諸の善根多しといえども、その中に念仏は最なり。故に、題目には無量寿経・観無量寿経・阿弥陀経等と云えり。
釈摩訶衍論・法華論等の論をもってこれを勘うるに、一切経の初めには必ず「南無」の二字有り。梵本をもってこれを言わば、三部経の題目には「南無」これ有り。双観経の「修諸(諸を修す)」の二字に、念仏より外の八万聖教残るべからず。観無量寿経の三福九品等の「大乗を読誦す」の一句に、一切経残るべからず。阿弥陀経の念仏の大善根に対する小善根の語に、法華経等漏るべきや。総じて浄土三部経の意は、行者の意楽に随わんがためにしばらく諸行を挙ぐといえども、再び念仏に対する時は、諸行の門を閉じて捨閉閣抛すること顕然なり。例せば、法華経を説かんがために無量義経を説くの時に、四十余年の経を捨てて法華の門を開くがごとし。竜樹菩薩、十住毘婆沙論を造って、一代聖教を難・易の二道に分かてり。難行道とは、三部経の外の諸行なり。易行道とは、念仏なり。
経論かくのごとく分明なりといえども、震旦の人師この義を知らず。ただ善導一師のみこの義を発得せり。ゆえに、双観経の三輩を観念法門に書いて云わく「一切衆生、根性不同にして上中下有り。その根性に随って、仏は皆無量寿仏の名を専念することを勧む」等云々。この文の意は「菩提心を発し諸の功徳を修す」等の諸行は、他力本願の念仏に値わざりしより以前に修することありけるを、たちまちにこれを捨てよと云うとも、行者用いるべからず。故に、しばらく諸行を許すなり。実には、念仏を離れて諸行をもって往生を遂ぐる者これ無しと書きしなり。
観無量寿経の「仏、阿難に告げたまわく」等の文を、善導の疏の四にこれを受けて曰わく「上来は定散両門を説くといえども、仏の本願に望めば、意は衆生の一向に専ら弥陀仏の名を称うるに在り」云々。「定散」とは、八万の権実・顕密の諸経を尽くしてこれを摂めて、念仏に対してこれを捨つるなり。善導の法事讃に阿弥陀経の「大・小善根の故」を釈して云わく「極楽は無為涅槃界なり。随縁の雑善にては恐らくは生じ難し。故に、如来をして要法を選び、教えて弥陀を念じ専ら修せしむ」等云々。諸師の中に三部経の意を得たる人は、ただ導一人のみ。
如来の三部経においてはかくのごとくあれども、正法・像法の時は根機なお利根の故に、諸行往生の機もこれ有りけるか。しかるに、機根衰えて末法と成るあいだ、諸行の機漸く失せ、念仏の機と成れり。さらに、阿弥陀如来は善導和尚と生まれて震旦にこの義を顕し、和尚は日本に生まれて初めは叡山に入って修行し、後には叡山を出でて一向に専修念仏して三部経の意を顕し給いしなり。汝、捨閉閣抛の四字を謗法と咎むること、いまだ導和尚の釈ならびに三部経の文を窺わざるか。狗の雷を齧むがごとく、地獄の業を増す。汝、知らずんば、浄土家の智者に問え。
不審して云わく、上に立つるところの義をもって法然の捨閉閣抛の謗言を救うか。実に浄土の三師ならびに竜樹菩薩、仏説によりこの三部経の文を開くに、念仏に対して諸行を傍となすこと、ほぼ経文にこれ見えたり。経文に嫌われしほどの諸行、念仏に対してこれを嫌わんこと、過むべきにあらず。ただし不審のところは、双観経の念仏より已外の「諸行」、観無量寿経の念仏より以外の「定散」、阿弥陀経の念仏の外の「小善根」の中に、法華・涅槃・大日経等の極大乗経を入れ、念仏に対して不往生の善根ぞと仏の嫌わせ給いけるを、竜樹菩薩・三師ならびに法然これを嫌えば、何の失か有らん。ただし、三部経の「小善根」等の句に、法華・涅槃・大日経等は入るべしとも覚えざれば、三師ならびに法然の釈を用いざるなり。
無量義経のごときは「四十余年にはいまだ真実を顕さず」と説いて、法華八箇年を除いてより以前四十二年に説くところの大小・権実の諸経は、一字一点も「いまだ真実を顕さず」の語に漏るべしとも覚えず。しかのみならず、四十二年の間に説くところの阿含・方等・般若・華厳の名目これを出だせり。既に大小の諸経を出だして生滅無常を説ける諸の小乗経を「阿含」の句に摂め、三無差別の法門を説ける諸大乗経を「華厳海空」の句に摂め、十八空等を説ける諸大乗経を「般若」の句に摂め、弾呵の意を説義経に依って、法華経に対して諸経を嫌い、嫌えるところの諸経に依れる諸宗を下すことは、天台大師の私にあらず。
汝等が浄土三部経の中には、念仏に対して諸行を嫌う文はこれ有れども、嫌わるる諸行は浄土三部経よりの外の五十年の諸経なりという現文はこれ無し。また無量義経のごとく阿含・方等・般若・華厳等をも挙げず。誰か知る、三部経には諸の小乗経ならびに歴劫修行の諸経等の諸行を仏は小善根と名づけ給うということを。左右なく念仏よりの外の諸行を小善等と云えるを、法華・涅槃等の一代の教えなりと打ち定めて捨閉閣抛の四字を置いては、仏意にや乖くらんと不審するばかりなり。例せば、王の所従には、諸人の中、諸国の中の凡下等一人も残るべからず、民が所従には諸人・諸国の主は入るべからざるがごとし。
誠に浄土三部経等が一代超過の経ならば、五十年の諸経を嫌うも、その謂れこれ有りなん。三部経の文より事起こって一代を摂むべしとは見えず。ただ一機一縁のみの小事なり。何ぞ一代を摂めてこれを嫌わん。三師ならびに法然、この義を弁えずして、諸行の中に法華・涅槃ならびに一代を摂めて、末代においてこれを行ぜん者は「千の中に一りも無し」と定むるは、近くは依経に背き、遠くは仏意に違うものなり。
ただし、竜樹の十住毘婆沙論の難行の中に法華・真言等を入ると云うは、論文に分明にこれ有りや。たとい論文にこれ有りとも、慥かなる経文これ無くんば、不審の内なり。竜樹菩薩の権大乗の論師たりし時の論なるか、また訳者の入れたるかと意得べし。その故は、仏は無量義経に四十余年は難行道、ける諸大乗経を「方等」の句に摂む。かくのごとく年限を指し経の題目を挙げたる無量無量義経は易行道と定め給うこと、金口の明鏡なり。竜樹菩薩、仏の記文に当たって世に出でて諸経の意を演ぶ。あに仏説なる難・易の二道を破って、私に難・易の二道を立てんや。したがって十住毘婆沙論一部の始中終を開くに、全く法華経を難行の中に入れたる文これ無く、ただ華厳経の十地を釈するに、第二地に至り、畢わって宣べず。また、この論に諸経の歴劫修行の旨を挙ぐるに、菩薩、難行道に堕ち二乗地に堕ちて、永不成仏の思いを成す由、見えたり。法華已前の論なること疑いなし。
竜樹菩薩の意を知らずして、この論の難行の中に法華・真言を入れたりと料簡するか。浄土の三師においては、書釈を見るに、難行・雑行・聖道の中に法華経を入れたる意ほぼこれ有り。しかりといえども、法然がごとき放言のこと、これ無し。
しかのみならず、仏法を弘めん輩は、教・機・時・国・教法流布の前後を撿うべきか。
如来、在世に、前の四十余年には、大小を説くといえども、説時いまだ至らざるの故に本懐を演べたまわず。機有りといえども、時無ければ、大法を説きたまわず。霊山八年の間、誰か機ならざる。時も来れる故に本懐を演べたもうに、権機移って実機と成る。法華経の流通ならびに涅槃経には、実教を前とし権教を後とすべきの由見えたり。在世には実を隠して権を前にす。滅後には実を前として権を後となすべき道理顕然なり。
しかりといえども、天竺国には正法一千年の間は外道有り、一向小乗の国有り、また一向大乗の国有り、また大小兼学の国有り。漢土に仏法渡っても、また天竺のごとし。日本国においては、外道も無く、小乗の機も無く、ただ大乗の機のみ有り。大乗においても法華よりの外の機無し。
ただし、仏法日本に渡り始めし時、しばらく小乗の三宗、権大乗の三宗を弘むといえども、桓武の御宇に伝教大師の御時、六宗は情を破って天台宗と成りぬ。俱舎・成実・律の三宗の学者も、彼の教えのごとく七賢・三道を経て見思を断じ二乗と成らんとは思わず。ただ彼の宗を習って大乗の初門となし、彼の極を得んとは思わず。権大乗の三宗を習える者も、五性各別等の宗義を捨てて、一念三千・五輪等の妙観を窺う。大小・権実を知らざる在家の檀那等も、一向に法華・真言の学者の教えに随ってこれを供養するあいだ、日本一洲は印度・震旦には似ず、一向純円の機なり。恐らくは霊山八年の機のごとし。
これをもってこれを思うに、浄土の三師は震旦にして権大乗の機に超えず。法然においては、純円の機、純円の教、純円の国を知らず。権大乗の一分たる観経等の念仏、権実をも弁えざる震旦の三師の釈、これをもってこの国に流布せしめ、実機に権法を授け、純円の国を権教の国と成し、醍醐を嘗むる者に蘇味を与うるの失、誠にはなはだ多し。