御書大好き!!

御書を拝読して感動したことなどを書きます。

上野殿御消息 1526頁 新版御書 1850頁 54歳御作

別名を「四徳四恩御書」と言います。

1275年、大聖人が54歳のとき、身延で書かれて南条時光に与えられたお手紙です。

外典における四徳と内典(仏教)における四徳をあげて、法華経を信じ行ずる者はおのずから四徳が具わり、この経を受持することは、即四徳を報ずることになる、と明かしています。さらにこの経を強く信ずる者を釈迦多宝十方の諸仏をはじめ、十羅刹にいたるまで、影の身に添うように必ず守護するので、信心が強盛であるならば現世安穏・後生善処は疑いないと励まされています。

 

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上野殿御消息(四徳四恩の事)

 建治元年(ʼ75) 54歳 南条時光

 三世の諸仏の世に出でさせ給いても、皆々四恩を報ぜよと説き、三皇五帝孔子老子顔回等の古の賢人は、四徳を修せよとなり。四徳とは、一には父母に孝あるべし、二には主に忠あるべし、三には友に合って礼あるべし、四には劣れるに逢って慈悲あれとなり。
 一に父母に孝あれとは、たとい親はものに覚えずとも、悪しざまなることを云うとも、いささかも腹も立てず、誤る顔を見せず、親の云うことに一分も違えず、親によき物を与えんと思って、せめてすることなくば、一日に二・三度えみて向かえとなり。
 二に主に合って忠あるべしとは、いささかも主にうしろめたなき心あるべからず。たとい我が身は失わるとも、主にはかまえてよかれと思うべし。「かくれての信あれば、あらわれての徳あるなり」と云々。
 三には友におうて礼あれとは、友達の一日に十度二十度来れる人なりとも、千里二千里来れる人のごとく思うて、礼儀いささかおろかに思うべからず。
 四に劣れる者に慈悲あれとは、我より劣りたらん人をば我が子のごとく思って、一切あわれみ、慈悲あるべし。これを四徳と云うなり。かくのごとく振る舞うを、賢人とも聖人とも云うべし。この四つのことあれば、余のことにはよからねどもよき者なり。かくのごとく四つの徳を振る舞う人は、外典三千巻をよまねども、読みたる人となれり。
 一に仏教の四恩とは、一には父母の恩を報ぜよ、二には国主の恩を報ぜよ、三には一切衆生の恩を報ぜよ、四には三宝の恩を報ぜよ。
 一に父母の恩を報ぜよとは、父母の赤白二渧、和合して我が身となる。母の胎内に宿ること二百七十日、九月の間、三十七度、死ぬるほどの苦しみあり。生み落とす時、たえがたしと思い念ずる息、頂より出ずる煙、梵天に至る。さて生み落とされて乳をのむこと一百八十余石、三年が間は父母の膝に遊び、人となりて仏教を信ずれば、まずこの父と母との恩を報ずべし。父の恩の高きこと、須弥山なおひきし。母の恩の深きこと、大海還って浅し。相構えて父母の恩を報ずべし。
 二に国主の恩を報ぜよとは、生まれて已来、衣食のたぐいより初めて、皆これ国主の恩を得てあるものなれば、「現世安穏にして、後に善処に生ず」と祈り奉るべし。
 三に一切衆生の恩を報ぜよとは、されば、昔は一切の男は父なり、女は母なり。しかるあいだ、生々世々に皆恩ある衆生なれば、皆仏になれと思うべきなり。
 四に三宝の恩を報ぜよとは、最初成道の華厳経を尋ぬれば、経も大乗、仏も報身如来にてましますあいだ、二乗等は昼の梟、夜の鷹のごとくして、かれを聞くといえども、耳しい・目しいのごとし。しかるあいだ、四恩を報ずべきかと思うに、女人をきらわれたるあいだ、母の恩報じがたし。次に、仏、阿含の小乗経を説き給いしこと十二年、これこそ小乗なれば我らが機にしたがうべきかと思えば、男は五戒、女は十戒、法師は二百五十戒、尼は五百戒を持って三千の威儀を具すべしと説きたれば、末代の我らかなうべしともおぼえねば、母の恩報じがたし。いわんや、この経にもきらわれたり。方等・般若、四十余年の経々に皆、女人をきらわれたり。ただ転女成仏経・観経等にすこし女人の得道の経文有りといえども、ただ名のみ有って実なきなり。その上、未顕真実の経なれば、いかんがありけん。四十余年の経々に皆、女人を嫌われたり。また最後に説き給いたる涅槃経にも女人を嫌われたり。
 いずれか四恩を報ずる経有りと尋ぬれば、法華経こそ女人成仏する経なれば、八歳の竜女成仏し、仏の姨母・憍曇弥、耶輸陀羅比丘尼、記別にあずかりぬ。されば、我らが母はただ女人の体にてこそ候え、畜生にもあらず、蛇身にもあらず。八歳の竜女だにも仏になる、いかんぞ、この経の力にて我が母の仏にならざるべき。されば、法華経を持つ人は、父と母との恩を報ずるなり。我が心には報ずると思わねども、この経の力にて報ずるなり。
 しかるあいだ、釈迦・多宝等の十方無量の仏、上行・地涌等の菩薩も、普賢・文殊等の迹化の大士も、舎利弗等の諸大声聞も、大梵天王・日月等の明主諸天も、八部王も十羅刹女等も、日本国中の大小の諸神も、総じて、この法華経を強く信じまいらせて余念なく一筋に信仰する者をば、影の身にそうがごとく守らせ給い候なり。相構えて相構えて、心を翻さず一筋に信じ給うならば、「現世安穏にして、後に善処に生ず」なるべし。恐々謹言。
    日蓮 花押
 上野殿