御書大好き!!

御書を拝読して感動したことなどを書きます。

妙法曼陀羅供養事 1305頁 (新版御書1726頁)

佐渡で著され千日尼に与えられた御消息です。

 

 

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妙法曼陀羅供養事

 文永10年(ʼ73) 52歳 (千日尼)

 妙法蓮華経の御本尊、供養いたしました。
 この曼陀羅は、文字は五字七字であるけれども、三世の諸仏の御師であり、一切の女人の成仏の印文である。冥途にはともしびとなり、死出の山にては良馬となり、天には日月のようであり、地には須弥山のようである。生死の海の船である。成仏得道の導師である。この大曼陀羅は、仏の滅後二千二百二十余年の間、一閻浮提の内にはいまだひろまっていない。
 病によりて薬あり。軽病には凡薬をほどこし、重病には仙薬をあたうべし。仏の滅後より今までは二千二百二十余年の間は、人の煩悩と罪業の病軽かったので、智者と申す医師たちがつづき出現されて、病に随って薬をあたえられた。いわゆる俱舎宗・成実宗律宗法相宗三論宗真言宗華厳宗天台宗・浄土宗・禅宗等である。彼の宗々に一々に薬あり。いわゆる、華厳の六相・十玄、三論の八不中道、法相の唯識観、律宗の二百五十戒、浄土宗の弥陀の名号、禅宗の見性成仏、真言宗の五輪観、天台宗の一念三千等なり。
 今の世は、既に末法にのぞみて(入って)諸宗の機ではないうえ、日本国一同に一闡提・大謗法の者となった。また物に譬えれば、父母を殺す罪、謀叛をおこせる科、出仏身血等の重罪等にも過ぎている。三千大千世界の一切衆生の人の眼をぬける罪よりも深く、十方世界の堂塔を焼きはらえるよりも超えたる大罪を一人して作れる程の衆生、日本国に充満している。
 それゆえ、天は日々に眼をいからして日本国をにらみ、地神は忿りを作して時々に身を震わせるのである。しかしながら、我が朝の一切衆生は、皆「我が身に科なし」と思い、「必ず往生する、成仏をとげるにちがいない」と思っている。赫々たる日輪も、目無き者は見えないし知らない。譬えば、たいこのごとくなる地震も、寝ている者の心にはおぼえようがない。日本国の一切衆生もかくのごとし。
 女人よりも男子の科はおおく、男子よりも尼のとがは重し。尼よりも僧の科はおおく、破戒の僧よりも持戒の法師のとがは重し。持戒の僧よりも智者の科はおもかるべし。これらは、癩病の中の白癩病、白癩病の中の大白癩病なり。
 末代の一切衆生は、いかなる大医、いかなる良薬をもってか治すべきとかんがえてみれば、大日如来の智拳印ならびに大日の真言阿弥陀如来四十八願薬師如来の十二大願の衆病悉除の誓いも薬の働きをすることはできない。これらの薬をつかえば、病は消滅いないうえに、ますます倍増するであろう。このような末法の時のために、教主釈尊多宝如来や十方分身の諸仏を集められて、一つの仙薬をとどめおかれた。いわゆる妙法蓮華経の五つの文字なり。
 この文字をば、法慧・功徳林・金剛薩埵・普賢・文殊・薬王・観音等にも依託されなかった。まして迦葉・舎利弗等においては言うまでもない。上行菩薩等と申して四人の大菩薩がおられる。この菩薩は、釈迦如来五百塵点劫よりこのかた御弟子となられて一念も仏を忘れないで来られた大菩薩であって、仏はこうした大菩薩を召し出だしてこの五文字を授けられたのである。
 ゆえに、この良薬を持つ女人等をば、この四人の大菩薩、前後左右に立ちそいて、この女人たたれたならば、この大菩薩も立たれる。乃至、この女人道を行く時は、この菩薩も道を行かれる。譬えば、かげと身と、水と魚と、声とひびきと、月と光とのごとし。この四大菩薩、南無妙法蓮華経と唱えたてまつる女人をはなるるならば、釈迦・多宝・十方分身の諸仏の御勘気をこの菩薩の身に受けられるのである。提婆よりも罪深く、瞿伽利よりも大妄語のものたるべしと思いなさい。あら悦ばしや、あら悦ばしや。(なんと悦ばしいことであろうか。)南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経
    日蓮 花押

 

[講義から思うこと]

四菩薩に守られるにはどうするか・・・私たちこそ末法の四菩薩、地涌の菩薩ですからね。ちゃんと信心で立てば諸天善神も一緒に立って戦ってくれるということですね。私たちが広布に走れば諸天善神もともに走って戦ってくれるのです。

反対に題目が足りなくて生命力の減退した人は、いくらよい条件であっても、それを十分受け入れることができず、結果として「守護」がないことになってしまう。私たちは御本尊を信じて題目をあげることで御本仏の生命をわが身に湧現させて、一切を諸天の働きとして受けていくことができるのです。