その中でも法然聖人は、幼少にして天台宗比叡山に登り、十七歳にして六十巻を読破し、ならびに八宗を究め、つぶさに大意を得た。その外、一切の経論を七遍も繰り返し読み、章疏伝記(注釈書)は究め尽くした。その智恵は日月にひとしく、徳は先師を越えていた。生死の苦悩を離れるとはどういうことかわからず、涅槃とはどういうことかもわからなかった。それ故に、誰にでも会って教えを請い、ことごとく検討して、深く思い、先の先まで考えて、ついに諸経を抛(なげう)って念仏だけを修行することにした。その上、一夢の霊応を蒙り(ある時に不思議な夢を見て)、国の四隅まですべての人に教えを弘めた。故に、人々はある時は勢至の化身と呼び、あるときは善導の再誕と尊敬したりした。そうであるから、十方のあらゆる階層の人が皆礼拝し、一朝(全国)の男女が会いに来た。それ以来、春秋推し移り、星霜相積もれり(長い年月が経過している。)
しかし、あなたは恐れ多いことに、釈尊の教えを疎かにし、弥陀の文を好き勝手に謗っている。どうして、近年の災いの原因を過去の素晴らしい時代にあるといい、むやみに先師を謗り、さらに聖人を罵るのか。わざわざ毛を吹いてきずを探し求め、皮を切り取って血を出だせるようなものである。昔より今に至るまで、このような悪言いまだ見たことがない。恐れおののかなくてはなるまい、慎まなければなるまい。その罪業は至って重いのだ。その罰をどうして逃れることができようか。向かい合って座っていることも恐れ多い。杖を携えて則ち帰ろうと思う。
〈講義録572頁〉
主人は微笑み、引き止めていう。辛い蓼(たで)の葉を食べる虫は辛いことに慣れ、便所に長くいると臭いことを忘れてしまう。善言を聞いて悪言と思い、謗者を指して聖人と謂い、正師を疑って悪僧のように思いこむ。その迷い誠に深く、その罪は浅くはない。事の起こりを聞きなさい。委しくその事情を語ってあげよう。釈尊の説法の内、一代五時の教えに先後を立てて権実を弁なかった。しかし、曇鸞・道綽・善導がすっかり権りの教えに就いて、実を忘れ、先の教えについて依って後の教えを捨てている。いまだ仏教の淵底を探らざる者である。なかでも法然は、その流れを酌むといえども、その源を知らず。所以はいかん。大乗経六百三十七部二千八百八十三巻、ならびに一切の諸の仏菩薩および諸の世天等をもって、捨閉閣抛の字を置いて、一切衆生の心を薄んず。これひとえに私曲の詞を展べて全く仏経の説を見ず。妄語の至り悪口の科、言っても比い無く、責めても余り有り。
人皆その妄語を信じ、ことごとく彼の選択を貴ぶ。故に、浄土の三経を崇めて衆経を抛ち、極楽の一仏を仰いで諸仏を忘る。誠にこれ諸仏・諸経の怨敵、聖僧・衆人の讐敵なり。この邪教、広く八荒に弘まり、あまねく十方に遍す。
〈講義録591頁↓〉
そもそも、近年の災いをもって往代を難ずるの由(先年を非難することを)、あなたは強く恐れているが、少し先例を引いてあなたの迷いを悟してあげよう(晴らすことにしよう)。
止観の第二に史記を引いて云わく「周の末に髪を結わず・肌をあらわにして、伝統的な作法に従わない者がいた」と述べている。弘決の第二にこの文を釈するに、左伝を引いて曰わく「初め平王の東に遷るや、伊川に被髪の者の野において祭るを見る。識者曰わく『百年に及ばじ。その礼まず亡びぬ』と」。このことから、予兆が前に顕れ災いが後に到来することがわかる。また、「摩訶止観」には続けて以下のようにある。「阮籍は逸才であったが、髪をぼうぼうにして、帯を喪服のように垂らしていた。後に、公卿の子孫、皆これを模倣して、奴や狗(いぬ)などと言って人を辱しめる者を、本来あるべき境地に達したものと同様とし、節度があり、慎み深いものを田舎者呼ばわりした。司馬氏の滅ぶる前兆であった」已上。
また慈覚大師の入唐巡礼記を調べてみると次のようにある。「唐の武宗皇帝は、会昌元年、勅令を発して章敬寺の鏡霜法師をして諸寺において弥陀念仏の教えを伝えさせた。寺ごとに三日ずつ念仏を行い、絶えることなく巡り続けた。同二年、回鶻国(かいこつこく=ウィグル)の軍兵等、唐の国境地域に侵入した。同三年、河北の節度使たちまち乱を起こす。その後、大蕃国(だいばんこく=チベット)また命令を拒み、回鶻国再度が領地を奪った。およそ兵乱は秦の末期の項羽の時代にと変わらず、戦火は地方を襲っている。まして武宗大いに仏法を破壊し、多く寺塔を壊してしまった。乱を収めることができなくて、そのままついに亡くなってしまった」已上取意。これをもってこれを惟うに(こうしたことを考え合わせると)、法然は後鳥羽院の御宇、建仁年中の者なり。彼の院の御事(後鳥羽院が承久の乱で滅び去ったこと)は、既に眼前の事実である。しからば則ち、中国においては唐が滅亡するという例を残し、吾が朝では三上皇が臣下とも言うべき幕府によって流罪されるという証拠を顕した。汝疑うことなかれ、汝怪しむことなかれ。ただ是非とも凶を捨てて、善に帰し、悪の根源を断つべきである。
客、いささか和らいで曰わく(少し気持ちが落ち着いて言う)、いまだ淵底(深い意味)を究めてはいないけれど、だいたいの趣旨はわかった。ただし、華洛(京都)より柳営(鎌倉)に至るまで、釈門(仏教界のこと)には※枢楗があり、仏家に※棟梁がいる。【※枢楗(すうけん=扉のかんぬき、門にとって大事な要所。ここでは法門上の要である経典や宗旨をさす)※棟梁(とうりょう=むね・はり)(家の棟と梁で家にとっての要所。ここでは高僧をさす)】
しかるに、いまだ勘状を進らせず(法然の謗法について幕府に訴えたものがいない)、上奏に及ばず(天皇に上奏したものもいない)。汝、賤しき身分の人でありながら、たやすく念仏に対して莠言(ゆうげん=醜い言葉)を吐く。その主張は議論の余地がたくさんあり、その理屈はいわれがない。
主人曰わく、私は、取るに足らない人間ではあるけれども、忝くも(かたじけなくも=恐れ多くも)大乗を学んでいる。蒼蠅(アオバエ)が、驥尾(きび=駿馬のしっぽ)に附して万里を渡り、碧蘿(へきら=緑のつる草)、松頭(松の枝先)に懸かって千尋を延ぶ。弟子、一仏(唯一の仏=釈尊)の子と生まれて、諸経の王に事(つか)う(=仕える)。何ぞ仏法の衰微を見て心情の哀惜を起こさざらんや(悲しまないでいられようか)。
その上、涅槃経に云わく「もし善比丘あって、法を壊(やぶ)る者を見て、置いて、呵責し駆遣し挙処せずんば、当に知るべし、この人は仏法の中の怨なり。もし能く駆遣し呵責し挙処せば、これ我が弟子、真の声聞なり」。私は、善い出家者というわけではないが、「仏法の中の怨(あだ)」の責めをのがれるために、ただ大筋だけを取り上げて、ほぼ一端を示すのみである。
その上、かつて元仁(げんにん)年間に延暦・興福の両寺より度々朝廷への申し入れがなされ、勅宣・御教書を申請した。比叡山では法然の選択集の印板(版木)を大講堂に取り上げ(押収し)、三世の仏恩を報ぜんがためにこれを焼失させた。法然の墓所については、感神院の犬神人に仰せ付けて破壊させた。※法然の門弟、隆寛・聖光・成覚・薩生等は遠国に配流せられ、その後いまだ御勘気を許されず。どうして「いまだ勘状を提出したものがない(意見を進言したことがない)」と言えるだろうか。
※【法然の没後1227年、専修念仏を禁止する宣旨が発せられたので、門弟らが流罪となった】
客則ち和らいで曰わく、(法然が)経を下し僧を謗じているというのは、あなた一人がしてる非難である。しかし、法然は大乗経六百三十七部二千八百八十三巻、ならびに一切の諸の仏菩薩および諸の世天等(仏教以外の様々な神々)に対して、捨閉閣抛の四字をその上に置いた。その言葉があることはいうまでもなく、その文(もん)ははっきりしている。あなたは、このわずかな欠点にこだわって、そのような誹謗をしているけれども、迷って言うのか、覚って語るのか、賢か愚か判別がつかないし、是か非か定めることが難しい。
ただし、災難の起こりは「選択集」に原因があるということ、その言葉を盛んにいい、いよいよその旨を談じている。詮ずるところ(結局)+、天下泰平・国土安穏は君臣の願うところ、民衆の思うところである。
夫れ(そもそも)、国は法によって栄え、法は人に因って貴い。国亡び人滅せば、仏を誰か崇(あが)むべき、法を誰か信ずべきや。まず国家の安泰を祈って、仏法を確立するのでなければならない。もし災いをなくし、災難を止める手立てがあるならば、聞きたいと思う。
主人曰わく、私は愚かであって決して賢くはない。ただ経文に即して少しばかり考えを述べよう。そもそも治術(世を治める術)というものは、仏教か外道かを問わず 、その文は数えきれないほどある。すべてを挙げることは難しい。ただし、仏道に入ってしばしば愚案を廻らすに、謗法の人を禁めて正しい考えの人を重んじるなら、国の中は安穏になり天下は泰平になるだろう。
即ち、涅槃経に云わく「仏言わく『ただ一人のみを除いて余の一切に施さば、皆、讃歎すべし』。純陀問うて言わく『いかなるをか名づけて、ただ一人のみを除くとなす』。仏言わく『この経の中に説くところのごときは破戒なり』。純陀また言わく『我今いまだ解せず。ただ願わくはこれを説きたまえ』。仏、純陀に語って言わく『破戒とは、一闡提を謂う。その余のあらゆる一切に布施するは、皆、讃歎すべし。大果報を獲ん』。純陀また問う『一闡提とは、その義いかん』。仏言わく『純陀よ。もし比丘および比丘尼・優婆塞・優婆夷有って、麤悪(そあく)の言(ことば)を発し、正法を誹謗し、この重業を造って永く改悔せず、心に懺悔(ざんげ)無くんば、かくのごとき等の人をば名づけて一闡提の道に趣くものとなすのである。もし(殺・盗・淫・妄語の)四重罪を犯し(父母を殺し、破和合僧などの)五逆罪を作り、自ら定めてかくのごとき重事を犯すと知りつつも、心に初めより怖畏・懺悔無く、あえて告白せず、自分が謗った正法において永く護惜建立の心が無く、毀呰・軽賤して言に過咎多からば、かくのごとき等の人をばまた一闡提の道に趣向すと名づく。ただこのような一闡提の輩のみを除いて、それ以外の者に布施するならば、一切が讃歎するであろう』と」。
また云わく(こうある)「我過去世の昔を思い浮かべると、閻浮提において大国の王となり、名づけて仙予といった。大乗経典を大切に思い敬重し、その心は純善にして、粗暴なところも嫉妬などもなかった。善男子よ。我はその時において心に大乗を重んじていた。婆羅門が大乗経典を誹謗するのを聞き、聞き已わって即時にそのバラモンの命を断った。善男子よ。この因縁をもって、私はこれより已来、地獄に堕ちることはなかった」。
また云わく(こうある)「如来は、昔、国王となって菩薩の道を行ぜし時、多くの婆羅門の命を断った」。
また云わく「殺生に三つ有り。謂わく下殺(げせつ)・中殺・上殺である。
下とは、蟻の子をはじめ一切の畜生を殺すことである。ただ菩薩の示現生(じげんしょう=菩薩が衆生救済のため、誓願して畜生の姿でこの世に生まれてくること、これは殺しても罪にならない)の者だけは除く。下殺の因縁をもって地獄・畜生・餓鬼に堕ちて、つぶさに下の苦を受く。なぜなら。このもろもろの畜生にわずかの善根があるから、殺したならばその罪報を受けるのである。
中殺とは、凡夫の人より阿那含果(声聞界の第三果)に至るまで、これを名づけて中といい、これらの者を殺すとその業因をもって三悪道、即ち地獄・畜生・餓鬼に堕ちて、つぶさに中の苦を受く。
上殺とは、父母をはじめ阿羅漢・辟支仏・畢定の菩薩を殺す罪であり、これは阿鼻大地獄の中に堕つ。善男子よ。もし能く一闡提を殺すことあらば、則ちこの三種の殺の中に堕ちない。善男子よ。彼の諸の婆羅門等は、一切皆これ一闡提である」已上。
仁王経に云わく「仏、波斯匿王(はしのくおう)に告げていうには『この故に、諸の国王に付嘱して、比丘・比丘尼に付嘱しないのである。なぜかというと王の威力が(比丘・比丘尼には)ないからである』と」已上。 涅槃経にはこうある、「今、無上の正法をもって、諸王・大臣・宰相および四部の衆に付嘱する。正法を毀る者については、大臣・四部の衆は、まさにきびしくこれを対治していきなさい」
また云わく「仏言わく『迦葉よ。能く正法を護持する因縁をもっての故に、この金剛身を成就することができた。善男子よ。正法を護持せん者は、五戒を受けなくてもよいし、威儀を修しなくてもよい(作法にかなったふるまいをしなくてもよい)。応に刀剣・弓箭・鉾槊(むさく)を持たなければならない』と」。
また云わく「もし五戒を受持するの者有らば、名づけて大乗の人ということはできない。五戒を受けなくても、正法を護る人を乃ち大乗と名づけるのである。正法を護る者は、応当に刀剣器仗を執持すべし。刀杖を持すといえども、我はこれらを説いて名づけて持戒というのである」。
また云わく「善男子よ。過去の世にこの拘尸那(くしな)城において仏の世に出でたもうことありき。歓喜増益如来と号したてまつる。仏涅槃して後、正法が世に住すること無量億歳なり。さらにもう四十年、仏法いまだ滅しなかった。その時、ひとりの持戒の僧がいて、名づけて覚徳比丘という。その時、多く破戒の比丘がいて、この覚徳比丘が説法をするのを聞いて皆悪心を生じ、刀杖を執持し、この法師を迫害した。この時の国王は、名づけて有徳という。このことを聞き已わって、護法のための故に即便ち説法者の所に往至して、この破戒の諸の悪比丘と極めて共に戦闘す。その時、説法者は厄害を免るることを得たり。王、その時において身に刀剣箭槊(とうけんせんさく)の瘡(きず)を被り、体に完(まった)き処は芥子(けし)のごときばかりも無し。その時、覚徳はついで王を讃めて言わく『善きかな、善きかな。王、今真にこれ正法を護る者なり。当来の世に、この身当に無量の法器となるべし』。王、この時において法を聞くことを得已わって、心大いに歓喜し、ついで即ち命終して阿閦仏(あしゅくぶつ)の国に生じて、彼の仏のために第一の弟子となる。その王の将従・人民・眷属、戦闘有りし者、歓喜有りし者は、一切、菩提の心を退せず、命終してことごとく阿閦仏の国に生ず。覚徳比丘、その後、寿命が終わってまた阿閦仏の国に生まれ、彼の仏のために声聞衆の中の第二の弟子となった。もし正法が尽きんとするときは、応にこのように受持し擁護すべきである。迦葉よ。その時の王とは則ち我が身これなり。説法の比丘は迦葉仏これなり。迦葉よ。正法を護る者は、かくのごとき等の無量の果報を得るだろう。この因縁をもって、我、今日において種々の相(特徴・特質)を得て、もって自ら荘厳し、法身不可壊の身を成ず(壊れることのない法身となったのである)。
仏、迦葉菩薩に告げたまわく、この故に、法を護らん優婆塞等は、応に刀杖を執持して擁護すること、かくのごとくなるべし。善男子よ。我涅槃して後の濁悪の世に、国土荒乱し、たがいに抄掠し、人民飢餓せん。その時、多く飢餓のための故に発心・出家するもの有らん。このような人を名づけて禿人(とくにん=髪のない者、形だけの僧)となす。この禿人の輩、正法を護持するものを見て、駆逐して(教団から)追い出し、殺したり、危害を加えるだろう。この故に、我は今、持戒の人、諸の白衣の刀杖を持する者を頼って、もって伴侶(仲間)となることをゆるす。刀杖を持すといえども、我はこれらを説いて名づけて持戒という。刀杖を持すといえども、応に命を断ってはならない」。
法華経に云わく「もし人信ぜずして、この経を毀謗せば、即ち一切世間の仏種を断ぜん乃至その人は命終して、阿鼻獄に入らん」已上。(p773講義録)
さて、経文は顕然なり(はっきりしている)。私の言葉をどうして加えることがあろうか。およそ法華経のごとくならば、大乗経典を謗ずる者は、無量の五逆よりも罪が勝っているので、阿鼻大城に堕ちて永く出てくる時がない。涅槃経のいうように、たとえ五逆を犯した者への供養を許すとしても、謗法の者への布施を許さない。蟻の子を殺す者は、必ず三悪道に落つ。謗法を禁ずる者は、不退の位に登る。いわゆる、覚徳とはこれ迦葉仏なり、有徳とは則ち釈迦文なり。
法華・涅槃の経教は一代五時の肝心なり。その禁めは実に重い。誰か帰仰せざらんや(拠り所としない者がいるだろうか)。しかし、謗法の人々は、正しい道を忘れ、あまつさえ法然の選択によって、いよいよ愚かになり、迷いを増している。ここをもって、あるいは彼の遺体を忍んで木画の像にあらわし、あるいはその妄説を信じて醜悪な言葉を版木に彫ったりして、これを国中に広め、津々浦々で手にしている。
仰ぐところは則ちその家風(法然の主張)、布施するところは則ちその門弟である。しかるあいだ、あるいは釈迦の手の指を切って阿弥陀の印相に結び変えたり、あるいは東方の(薬師)如来の堂を改めて西土教主の阿弥陀仏を安置し、あるいは四百余回にわたって行われてきた法華経の定めどおりの写経を止めて、西方浄土の三部経としたり、あるいは天台大師の講(法会)をやめて善導の講(法会)としたりした。このような群類(人々)は、それ誠に数えきれない。これ破仏にあらずや(破仏ではないか)。これ破法にあらずや。これ破僧にあらずや。この邪義は、則ち法然の「選択集」に依るものである。
ああ悲しいかな、如来の誠諦(真実)の禁言(使ってはならない言葉)に背くこと。哀れなるかな、愚侶の迷惑の麤語(そご)に随うこと(愚かな輩の迷いに基づく低劣な言葉に従うことは)。早く天下の静謐(せいひつ)を思わば、すべからく国中の謗法を断つべし。
客曰わく、もし謗法の輩を断じ、もし仏の禁止への違背をなくそうとするには、彼の経文のごとく斬罪に行うべきなのか。もしそうなら、殺害の罪が加わるが、罪業はどうするのか。
則ち大集経にこうある「頭を剃り袈裟を着れば、持戒の人もおよび戒を毀る人も、天も人も彼らを供養するだろう。そうすれば我を供養したことになるだろう。これ我が子なり。もし彼を打ちたたくならば、則ち我が子を打つとなす。もし彼を罵辱せば、則ち我を毀辱すとなす」。
料(はか)り知んぬ(私の考えでは)、善悪を論じることなく、是非(正しいか否か)を選ぶことなく、僧侶であるものについては供養を行うのがよい。何ぞ、その子を打ち辱めて忝くも(恐れ多くも)その父(仏)を悲しませてよいだろうか。
あの竹杖外道が目連尊者を殺害した時には、永く無間地獄の底に沈み、提婆達多が蓮華比丘尼を殺した時には、久しく(長く)阿鼻地獄の炎に咽(むせ)んだ(=苦しんだ)のである。先証これ明らかなり、後昆(こうこん=のちの人々)最も恐れている。謗法をとがめるようではあるけれども、既に仏の禁言(禁止の言葉)を破っている。このこと信じられない。いかんが意(こころ)得んや(どのように理解すればよいのだろう)。
主人がいう、あなたは明らかに経文を見ていながら、まだこのような発言をしている。理解ができないのか、道理が通じないのか。全く仏の子を禁(いまし)めているのではない。ただひたすら謗法を悪(にく)むのだ。
そもそも、釈迦の以前、仏教はその罪を斬るといえども、能忍(釈尊)の以後、経説は則ちその布施を止めることである。しからば則ち、四海万邦、一切の四衆、その悪に施さず、皆この善に帰せば、どのような難が一斉に起こり、どのような災いが競って来るのだろうか。
客則ち席を避け(敷物からおりて主人を敬う姿勢を示し)、襟を正していう。仏教かくまちまちに分かれていて、その趣旨をすべて知ることは難しく、不審は多岐に分かれていて、理非(何が道理にかなっているか)は明らかではない。ただし法然聖人の「選択集」は、現に在る。諸仏・諸経・諸菩薩・諸天等に対して捨閉閣抛という4字をその上に置いている。その文は顕然なり(明らかである)。
「これに因って、聖人は国を去り善神は所を捨てて、天下は飢渇し世の中に疫病が流行っている」と、あなたはいう。
今、主人は、広く経文を引いて、明らかに理非を示す。故に、妄執(迷妄な執着、ここでは盲目的に念仏宗を信じてきたこと)は既にくつがえり、耳目しばしば朗らかなり(ありのままに物事を理解できるようになった)。詮ずるところ(結局)、国土泰平・天下安穏は、一人より万民に至るまで好むところであり、願うところである。早く一闡提への布施を止め、永く正法を護持する僧尼への供養を致し、仏の海の白浪を収め、法の山の緑林を截(き)らば、世は羲農の世と成り、国は唐虞の国とならん。そうなった後、法水の浅深を斟酌(しんしゃく=比較研究して)、仏家の棟梁(仏法の最高の教え)を崇め重んじよう。
主人悦んで曰わく、(故事に)鳩が化して鷹となり、雀(すずめ)変じて蛤(はまぐり)となる、とある。悦ばしいことである。あなたは、蘭室の友に交わって麻畝の性(まっすぐな性質)と成った。真剣に災難を顧みて、ひたすらこの言葉を信じるなら、風和らぎ浪静かになり、わずかのうちに豊年になるであろう。
とはいえ、人の心は時に随って移り、物の性(性格・性分)は境(境遇・環境)に依って改まる(変わっていく)。譬えば、なお、水中の月の波に動き、陣前の軍の剣に靡(たなび)くがごとし。
あなたは、この座では信じるといっているけれども、後になると定めて永く忘れてしまうだろう。もし、まず国土を安穏にして現当(現世・来世)を祈ろうとおもうならば、速やかに情慮を廻らし、急いで邪宗邪義に対治を加えなさい。
その理由は何か。薬師経の七難の内、五難たちまち起こり、二難がまだ残っている。いわゆる他国侵逼の難・自界叛逆の難である。大集経の三災の内、二災すでに顕れ、一災がまだ起こっていない。いわゆる兵革の災である。金光明経の内の種々の災禍一々起こっているが、他方の怨賊国内を侵掠するという災難は、まだ現れていない。仁王経の七難の内、六難今盛んであるが、一難はまだ現れていない。いわゆる、四方の賊来って国を侵すという難である。
それだけではなく、「国土が乱れん時はまず鬼神乱れる。鬼神乱るるが故に万民が乱れる」と。今この文に就いてつぶさに事態の本質を案考えるに、百鬼すでに乱れ、万民多く亡くなっている。先難これ明らかなり、後災何ぞ疑わん。もし残るところの難が、悪法を用いた罪によって並び起こり競い来らば、その時いかんがせんや(どうすればよいのだろうか)。
帝王は国家を基盤として天下を治め、人臣は田園を領有して、世上を保つ(世の中を安心して暮らせるようにするものである)。しかし、他方の賊がやって来てその国を侵略し、内乱・反逆してその地を支配下に置くなら、どうして驚かないことがあろうか。どうして騒がまいことがあろうか。国を失い家を滅ぼされたなら、いずれの所に逃げたらいいのだろう。
あなたはまず、すべからく一身の安堵を思わば(自分の安心を考えるなら)、まず四表の静謐(社会全体の静穏)を祈るべきではないか。
とりわけ、人が世に生きている限りは、各々後生を恐れている。それゆえ、あるいは邪教を信じ、あるいは謗法を貴ぶ。各是非に迷うことを嫌悪しているといえども、なお正しい仏法に帰することを哀しむ。何ぞ同じく信心の力をもってみだりに邪議の言葉を宗めるのか。もし執心する心が改まらず、またゆがんだ心がまだあるなら、早く有為の郷を辞して(無常であるこの世から速やかに去って)、必ず無間地獄に堕ちてしまうだろう。
その理由は何か。大集経にはこうある。「もし国王有って、無量世において(過去世において数えきれないほど生まれ変わり)そのたびに、施・戒・慧を修したとしても、我が法が滅しようとするのを見て、捨てて(関心を持たず)擁護しないならば、このように種をまいた無量の善根がことごとく失われ、乃至その王はほどなくして当に重病を患い、寿命が終わった後、大地獄の中に生まれる。王のごとく、夫人・太子・大臣・城主・柱師・郡守・宰官もまたかくのごとくなるだろう」。
仁王経にはこうある、「人、仏教を破壊するなら、また孝行の子はひとりも無く、六親(近親)は不和にして、天の神も助けない。疾疫・悪鬼が毎日に来て人々を害する。災害や怪異が絶えることなく、連続する禍いはよき不能である。死んでからは地獄・餓鬼・畜生に入るだろう。もし出でて人となるならば、罪の報いとして兵士や奴隷となるだろう。響きのごとく(音には響きが応ずる如く)、影のごとく(物には影の添う如く)、人の夜書くに火は滅すれども字は存するがごとく、三界の果報もまたかくのごとし」。
法華経の第二にこうある、「もし人信ぜずして、この経を毀謗せば乃至その人は命終して、阿鼻獄に入らん」。また同第七の巻の不軽品に云わく「千劫、阿鼻地獄において、大苦悩を受く」。涅槃経に云わく「善友を遠離し、正法を聞かず、悪法に住せば、この因縁の故に沈没して阿鼻地獄に在って、受くるところの身形、【地獄と同じ】縦横八万四千の大きさとなり、地獄の苦をすべて一身に受けるだろう」。
広く衆経(一切経)を開いてみると、いずれも謗法を重罪だと説いている。悲しいかな、皆正法の門を出でて、深く邪法の獄に入っている。愚かなるかな、各(おのおの)悪教の綱に懸かって永久に謗法の教えの網に纏(まと)わりつかれている。この朦霧(もうろう)と立ち込める霧のようなこの迷いによって、激しく燃え盛るあの炎の地獄の底に沈む。あ愁えざらんや、どうして苦しまざらんや(苦しまずにいられるだろうか)。
汝、早く信仰の寸心を改めて、速やかに実乗の一善に帰せよ。しからば則ち、三界は皆仏国なり。仏国それ衰えんや。十方はことごとく宝土なり。宝土何ぞ壊れんや。国に衰微無く土に破壊無くんば、身はこれ安全、心はこれ禅定ならん。この詞(ことば)、この言(ことば)、信ずべく、崇むべし。
客曰わく、今生(こんじょう=今世)・後生(ごしょう=来世)、誰が慎まないことがあるだろうか。誰が和(したが)わないことがあるだろうか。この経文を披(ひら)いてつぶさに仏語を承(うけたまわ)ってみると、誹謗(ひぼう)の科(とが)は至って重く、毀法(きほう)の罪は誠に深い。我一仏を信じて諸仏を抛(なげう)ち、三部経を仰いで諸経を閣(さしお)きしは、これ私曲(しごく)の思いにあらず(自分勝手な思いからではなく)、則ち先達の詞に随っただけである。十方の諸人(全国の人々)もまた同様である。今世には性心(しょうしん=仏性を具えている心)を労し(消耗させ)、来生(らいしょう=来世)には阿鼻に堕ちんこと、文明らかに理詳(つまび)らかなり。疑うべからず。いよいよ貴公の慈誨(じかい)を仰(あお)ぎ、ますます愚客(ぐかく)の癡心(ちしん)を開けり。速やかに対治を廻らして早く泰平を致し(実現し)、まず生前を安んじて(安穏なものとして)さらに没後を扶けん(死後のために善根を積むようにしよう)。ただ我が信ずるのみにあらず、また他の誤りをも誡(いまし)めんのみ(誡めていきたいと思う)。
〈感想〉
世の中の悲惨な出来事を嘆いてやってきた友人に、
かくも理路整然と仏法の正しさを説き、
相手が怒ってもにこやかに話を続け、
最後は相手に発心させてあげるという折伏。
ほんま、立正安国論はすごい!
こういう風に折伏するんだよ、というお手本ではないでしょうか。
ただ念仏に限らず、現代の人々の精神をだめにするものは色々ありますから、
ほかのものに置き換えて語れると思います。
あと「新・人間革命」の中にも、
折伏に使える話はいっぱいあるので、
折伏のネタ帳を作ろうかな。