御書大好き!!

御書を拝読して感動したことなどを書きます。

上野殿御返事 1574頁 新版御書1918頁 59歳御作

別名を「須達長者御書」と言います。

本抄の内容は、時光が自身の苦境をも顧みず、身延の大聖人のもとへ銭一貫文を御供養したことに対し、金色王、須達長者、利吨尊者の故事を引き、時光が法華経の行者である大聖人に御供養する功徳が、いかに大きいかを述べられています。

 

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上野殿御返事(須達長者御書)

 弘安3年(ʼ80)12月27日 59歳 南条時光

 鵝目一貫文、送っていただいた。真心の御供養があったので申しあげる。欲の深い御房と思わないでいただきたい。
 仏にやすやすとなれることがある。おしえてさしあげよう。人のものを教えると申すは、車の重けれども油をぬってまわり、ふねの水にうかべて行きやすいようにおしえるのである。仏になりやすきことは特別なことはない。旱魃にかわけるものに水をあたえ、寒氷にこごえたるものに火をあたえるようなものである。また二つない物を人にあたえ、(それなくしては自分の)命が絶えるときに人に布施することである。
 金色王という王は、その国に十二年の大旱魃があって、万民が飢え死ぬること数知れず、河には死人を橋とし、陸にはがいこつを塚とした。その時、金色大王、大菩提心をおこして大いに施をほどこした。布施すべき物みなつきて、蔵の中にただ米五升ばかりのこった。「大王の一日の御食事です」と臣下が言えば、大王、五升の米をとり出だして、一切の飢えたるものに、あるいは一粒二粒、あるいは三粒四粒などと、あまねくあたえられたのち、天に向かわれて、「朕は、一切衆生のけかちの苦にかわりて、飢え死にするであろうぞ」と、こえをあげて叫ばれたところ、天きこしめして甘露の雨を即座に降らせた。この雨を手にふれ、かおにかかりし人、皆食に飽きるほど満ち足りて、一国の万民、一瞬のうちに命がよみがえった。
 月氏国に須達長者という者は、七度貧になり七度長者となったが、最後の貧の時は、万民皆にげうせ死に絶えて、ただ夫婦二人になってしまった。五升の米あった。五日分の食糧に充てようとしていた時、迦葉・舎利弗・阿難・羅睺羅・釈迦仏の五人が、次第に入ってきて、五升の米を乞われたのでさしあげた。その日より五天竺第一の長者となりて祇園精舎をつくったのである。これをもって、万事を心得なさい。
 貴辺はすでに法華経の行者に似ておられることは、さるの人に似、餅が月に似ているようなものである。熱原の者たちをあなたが大事にされていることに対して、承平の将門、天喜の貞任のようであると、この国のものどもは思っている。これひとえに法華経に命をすつるゆえであって、まったく主君にそむく人とは、天は、御覧にならないであろう。
 その上、わずかの小郷におおくの公事を課せられて、わが身はのるべき馬なし、妻子はひきかくべき衣なし。かかる身なれども、法華経の行者が山中の雪にせめられ、食物も乏しいであろうと思いやられて、ぜに一貫おくられたことは、貧しい女が夫婦二人して一つの衣をきていたのを乞食にあたえ、利吨が器の中にあった稗(ひえ)を辟支仏にあたえたようなものである。尊いことである、尊いことである。くわしくは、またまた申しあげよう。恐々謹言。
  弘安三年十二月二十七日    日蓮 花押
 上野殿御返事