御書大好き!!

御書を拝読して感動したことなどを書きます。

南条殿御返事 全1578頁 新1923頁 

別名を「法妙人貴事」「鶏冠書」といいます。

 

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南条殿御返事(法妙人貴の事)                 

 弘安4年(ʼ81)9月11日 60歳 南条時光 

 

 塩一駄・大豆一俵・とっさか一袋・酒一筒、頂きました。
 上野国より御帰宅後は、いまだお会いすることがなくて、御様子を知りたいと思っていたところに、品々の物ども取りそえて、お便りをよこされたこと、言い尽くせない御志であります。
 今言うと事新しいようであるけれども、徳勝童子は、仏に土の餅を差し上げたことによって、阿育大王と生まれて、南閻浮提を大体支配したと承っております。土の餅はたいした物ではないけれども、仏が尊くていらっしゃるので、このように素晴らしい報いを得たのでしょう。しかしながら、釈迦仏は「我を無量の珍宝をもって億劫の間供養するよりは、末代の法華経の行者を一日でも供養する功徳は、百千万億倍勝れるであろう」と説かれているので、法華経の行者を心に入れて数年間供養されたことは、有り難き御志である。金言の通りであれば、きっと後生は霊山浄土に生まれるでしょう。なんと素晴らしい果報でしょう。
 その上、ここは人倫(人間社会)を離れた山中である。東西南北とも遠く離れて里もない。このような大変心細い山奥の住まいではあるけれども、教主釈尊の一大事の秘法を霊鷲山において相伝し、日蓮が肉団の胸中に秘して隠し持っている。それゆえ、日蓮が胸の間は諸仏入定の処である。舌の上は転法輪の所、喉は誕生の処、口中は正覚の砌(みぎり=右李=場所)であるはずである。このように不思議な法華経の行者の住処であるから、どうして霊山浄土に劣ることがあろうか。
 「法妙なるが故に人貴し。人貴きが故に所尊し」というのはこのことである。神力品に云わく「もしは林中においても、もしは樹の下においても、もしは僧坊においても乃至般涅槃されるであろう」云々。この砌に望まん輩は、無始の罪障たちまちに消滅し、三業の悪転じて三徳と成るであろう。彼の中天竺の無熱池に臨みし悩者が、心中の熱気を除き愈して「その願を充満すること、清涼の池のごとし」とうそぶきしも、それとこれと場所は異なりといえども、その意味はなんで変わることがあるだろうか。
 彼の月氏(インド)の霊鷲山は、本朝(日本)のこの身延の嶺である。参詣が久しく途絶えている。急いで来られるように取り計らいなさい。ここで待っております。あわれ、あわれ(ああ、ああ)、言い尽くせない御志かな、御志かな。
  弘安四年九月十一日    日蓮 花押
 南条殿御返事
  お使いの者の話を承った。御病気が大変とのことお聞きした。急いで治療をされて御参詣なされるがよい。

 

<補足と感想>

最後の追伸のように書かれているところは、御書全集では冒頭に載せられていました。

お手紙を書かれたときに最後の紙面が足りなくて、最初の紙の欄外にでも書かれたのではないでしょうか。意味からは追伸のように取れるので、新版御書では最後に載せられたと思われます。

 

大聖人の弟子を思う気持ちが伝わってくるお手紙ですね。

申し尽くしがたき御志って、余程素晴らしい信心をされていたんですね。時光さん。

心細いわび住まいの身延山中の大聖人の居場所が、霊山浄土にも劣らないと言われています。私たちの住む庶民の狭い家もそれと同じ意味で、信心あれば霊山浄土にも劣らないということになりそうです。問題は自分の信心かな。