目下、法戦の最中ではありますが、御書は毎日拝読するようにしています。
法戦に魔はつきものですが、獅子身中の虫というやつ、やはりおったなと、出てきたなと、感心して、座談会御書にもありましたが、なにの兵法よりも法華経の兵法をもちい給うべし。「諸余の怨敵は、みな摧滅す」の金言むなしかるべからず。兵法・剣形の大事もこの妙法より出でたり。ふかく信心をとり給え。あえて臆病にては叶うべからず候
と言われているので、魔は魔と見破れば気にすることはないので、出てきて当たり前やんと思って、歯牙にもかけず、前に進んだ方がええのです。身のためでおまっ。
たまたま開けた御書が今の自分にぴったりの御文が出てきたりするもんで、
昨日は新版御書の最後の方を見たら、懐かしい御書があって読みました。
前に載せてるのでここには書きませんが、椎地四郎殿御書。私の大好きな御書なので、よかったら新版御書の1720~1721頁読んでほしいです。やっぱり、ここが好きっていうところを書いときますね。
そもそも、法華経の「如渡得船(渡りに船を得たるがごとし)」の船と申すことは、教主・大覚世尊、巧智無辺の番匠として、四味八教の材木を取り集め、正直捨権とけずりなして邪正一如ときり合わせ、醍醐一実のくぎを丁とうって、生死の大海へおしうかべ、中道一実のほばしらに、界如三千の帆をあげて、諸法実相のおいてをえて、以信得入の一切衆生を取りのせて、釈迦如来はかじを取り、多宝如来はつなでを取り給えば、上行等の四菩薩は函蓋相応してきりきりとこぎ給うところの船を、「如渡得船」の船とは申すなり。
これにのるべき者は、日蓮が弟子檀那等なり。能く能く信じさせ給え。
どうです?うまいこというてはるなって、かっこいいなって思いません?
さて、いよいよ御義口伝も少しずつ載せていこうかと思います。
解説などは、時間のあるときにぼちぼち書こうかと思っています。
とりあえず最初のところ、南無妙法蓮華経について口伝されたところ、一番大事なので勉強していきたいと思います。
(095)
御義口伝
南無妙法蓮華経
御義口伝に云わく、「南無」とは梵語なり。ここには「帰命」と云う。人法これ有り。人とは釈尊に帰命し奉るなり。法とは法華経に帰命し奉るなり。また云わく、「帰」と云うは迹門不変真如の理に帰するなり。「命」とは本門随縁真如の智に命づくなり。「帰命」とは南無妙法蓮華経これなり。釈に云わく「随縁・不変は、一念の寂・照なり」。また「帰」とは我らが色法なり。「命」とは我らが心法なり。色心不二なるを一極と云うなり。釈に云わく「一極に帰せしむるが故に仏乗と云う」。
また云わく、南無妙法蓮華経の「南無」とは梵語、「妙法蓮華経」は漢語なり。梵漢共時に南無妙法蓮華経と云うなり。
また云わく、梵語には「薩達磨・芬陀梨伽・蘇多覧」と云う。ここには「妙法蓮華経」と云うなり。「薩」とは妙なり。「達磨」とは法なり。「芬陀梨伽」とは蓮華なり。「蘇多覧」とは経なり。九字は九尊の仏体なり。九界即仏界の表示なり。「妙」とは法性なり。「法」とは無明なり。無明・法性一体なるを妙法と云うなり。「蓮華」とは因果の二法なり。これまた因果一体なり。「経」とは一切衆生の言語音声を経と云うなり。釈に云わく「声、仏事をなす。これを名づけて経となす」。あるいは三世常恒なるを経と云うなり。
法界は妙法なり。法界は蓮華なり。法界は経なり。蓮華とは八葉九尊の仏体なり。能く能くこれを思うべし已上。
伝に云わく、
序品七箇の大事 方便品八箇の大事 譬喩品九箇の大事
信解品六箇の大事 薬草喩品五箇の大事 授記品四箇の大事
化城喩品七箇の大事 五百品三箇の大事 人記品二箇の大事
法師品十六箇の大事 宝塔品二十箇の大事 提婆品八箇の大事
勧持品十三箇の大事 安楽行品五箇の大事 涌出品一箇の大事
寿量品二十七箇の大事 分別功徳品三箇の大事 随喜品二箇の大事
法師功徳品四箇の大事 不軽品三十箇の大事 神力品八箇の大事
嘱累品三箇の大事 薬王品六箇の大事 妙音品三箇の大事
普門品五箇の大事 陀羅尼品六箇の大事 厳王品三箇の大事
普賢品六箇の大事 無量義経六箇の大事 普賢経五箇の大事
已上、二百三十一箇条なり。この外に別伝これ有り。つぶさにこれを記し訖わんぬ。