御書大好き!!

御書を拝読して感動したことなどを書きます。

御義口伝より臨終にまつわる一節(化城喩品から) 734頁5行目 

今日、安倍晋三元総理大臣が奈良で演説中に銃弾に倒れて亡くなりました。

それでなんか臨終のことを書かれた御書を探してたら、御義口伝にあったので、少し書かせてもらいます。

 

第六 即滅化城の事
御義口伝に云く、我等が滅する当体は化城なり、此の滅を滅と見れば化城なり、不滅の滅と知見するを宝処とは云うなり、是を寿量品にしては而実不滅度とは説くなり、滅と云う見(見解・見方)を滅するを滅と云うなり、三権即一実の法門之を思う可し、或即滅化城とは謗法の寺塔を滅する事なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は化城即宝処なり、我等が居住の山谷曠野皆皆常寂光の宝処なり云云。

 

通解・現代語訳:

御義口伝には次のように言われている。われわれが滅するところの肉体は化城(仮の姿)なのである。これが滅するのを滅と見るから化城(仮の姿)なのである。不滅の滅(滅することのない滅)とわかれば(つまり永遠の生命を確信すれば)宝処となるのである。これを寿量品で「而実不滅度(しかも実には滅度せず)」と説いているのである。

また、生命は今世かぎりであるという見方を滅することを、滅といっているのである。三権即一実の法門とは、三乗(声聞・縁覚・菩薩)即一仏乗であり、化城即宝処のことである。仏の境涯は遠くにあるものでもなければ、だんだん仏になるものでもない。我が身がすなわち仏なり、仏の当体なりと、確信することにつきるのである。

また即滅化城とは、謗法の寺院を折伏しつくすことである

今、日蓮大聖人およびその門下として南無妙法蓮華経と唱え奉る者は、九界即仏界なることを覚知するのである。われわれが居住するところの山や谷、広野など、すべてのところが常寂光の宝処―仏土となるのである。

 

[感想]

「不滅の滅」とかちょっとわかりにくかったですが・・・頭ぐるぐるまきで、どうゆーこと?って、生命は今世かぎりであるという見方を滅することを、滅といっているのである、って、だから不滅の滅は永遠をあらわすと。

何度も反すうしてわかったつもりになってきたかも・・・自分の体や生命は死んだら終わりっていう考えをやめなさいと、それが「不滅の滅」!だから生命は永遠なんだよと、そういうことですね。

「即滅化城とは謗法の寺塔を滅する事なり」のところの通解が「即滅化城とは、謗法の寺院を折伏しつくすことである」と書いてあったのが興味深かった。意訳か!?(笑)

滅するというのは破壊するとか壊すことではないんやね。「折伏しつくす」と講義録にあったのがすごいと思いました。謗法の寺院を滅する!これ今の日本で力ずくでは壊せない寺やし、たまに大地震でつぶれてはるけど、邪宗の寺院に破折にいく学会員もなかなかいないと思う。彼らはなかなか考えを改めそうにないから。本気で破折にいっても叶わないと思ってしまう。うちにきたエ〇バの証人の人たちも相当頑固で考えを変えられなかったのと同じでしょうね。昔読んだ人間革命には道場破りのごとく邪宗の門を叩いて破折してた先輩たちのことが書かれていたように思いますが、もうそんなことする時代ではないよね。この御義口伝のこの一節はどう解釈すべきなのかな~。