御書全集721頁 新版御書1005頁
第一 「譬喩品」の事
文句の五に云わく「『譬』とは、比況なり。『喩』とは、暁訓なり○大悲息まず、巧智無辺なれば、さらに樹を動かして風を訓え、扇を挙げて月を喩す」。
御義口伝に云わく、「大悲」とは、母の子を思う慈悲のごとし。今、日蓮等の慈悲なり。章安云わく「彼がために悪を除くは、即ちこれ彼が親なり」。「巧智」とは、南無妙法蓮華経なり。諸宗無得道の立義なり。「巧於難問答(難問答に巧みなり)」の意なり。「さらに」とは、在世に次いで滅後のことと意得べきなり。「樹を動かす」とは、煩悩なり。「風を訓う」とは、即ち菩提なり。「扇を挙ぐ」とは、生死なり。「月を喩す」とは、即ち涅槃なり。今、日蓮等の類い、南無妙法蓮華経と唱え奉る時、大白牛車に乗って「直至道場(直ちに道場に至る)」するなり。
記の五に云わく「『樹』と『扇』と、『風』と『月』とは、ただ円の教と理とのみなり」。また云わく「法説の実相は、何ぞ隠れ、何ぞ顕れん。長風息むことなく、空月常に懸かれり」。この釈これを思うべし。「隠る」とは、死なり。「顕る」とは、生なり。「長風」とは、我らが息なり。「空月」とは、心月なり。法華の生死とは、三世常恒にして隠・顕これ無し。我らが息風とは、吐くところの言語なり。これ南無妙法蓮華経なり。一心法界の覚月、常住にして懸かれり。これを指して「ただ円の教と理とのみ」と釈せり。「円」とは、法界なり。「教」とは、三千羅列なり。「理」とは、実相の一理なり云々。
(感想)
最初のところは大白蓮華3月号に通解が載っています。池田先生の講義も載っているのでそちらを読んでください。御義口伝は長いので、ほんとに一節くらいしか大白蓮華の講義では語られていません。わかりやすくて大事なところを講義されていると思います。
難しいけど全部読んでみるともっとよく理解が深まるのではないかと思います。
難解なところを先生が講義されないのは、それなりに理由がおありのことと思いますが、求道心ある方は全部読まれたらいいと思います。