御書大好き!!

御書を拝読して感動したことなどを書きます。

御義口伝  人記品二箇の大事  第一 第二 全735頁 新1025頁

   人記品二箇の大事
第一 「学・無学」の事
  御義口伝に云わく、「学」とは、【これから勉強すべき】無智の者をいう。「無学」とは、【学問の修行が終了した】有智の者をいう。今、日蓮等の類い、南無妙法蓮華経と唱え奉るは、「学・無学」の人に、「如我等無異(我がごとく等しくして異なることなし)」の記を授くるにあらずや。(全員を成仏の境涯に導く行為ではないか。)

色法は無学であり、心法は学である。また、心法は無学であり、色法は学である。

学・無学の人とは日本国の一切衆生である。智者・愚者おしなべて、南無妙法蓮華経の記を説いて「而強毒之(しかも強いてこれを毒す)」するなり。【信心反対の者にも折伏し、毒鼓の縁を結んで、すべての人を救っていくのだ。】

 

第二 「山海慧自在通王仏」の事
  御義口伝に云わく、「山」とは、煩悩即菩提なり。【煩悩はよく山に譬えられる】「海」とは、生死即涅槃なり【生死はよく海に譬えられ、生死海、生死の苦海と言ったりする】。ここにおける山は煩悩即菩提、海は生死の海は涅槃の大海とあらわれていることを示している。】

「慧」とは、我らが吐くところの言語なり。【われわれの言々句々というものは、ことごとく智慧の働きによる。】

「自在」とは、無障礙(=むしょうげ。さわりがないこと。煩悩や苦悩に束縛されない状態、あるいは生活のこと)である。「通王」とは、十界互具・百界千如・一念三千である。【通とは十界互具、百界千如、三千世間を意味する。宇宙森羅万象に通ずるがゆえに通という。王とは心王であり、一念である。したがって通王とは一念三千をあらわしている。】
  また云わく、「山」とは、【山とは煩悩即菩提であり、どちらかと言えば十界互具があかされた迹門の立場なので】迹門を意味する。「海」とは、【生死即涅槃であり、生死とは流転の上の苦悩であり、それが即永遠の生命なりとの開覚があらわれて、常住の世界が説きだされる、これは本門寿量品ゆえに】本門の意になる。

「慧」とは、妙法の五字をあらわす。【文上の本迹二門にはその文のみあって実義がなく、ただ文底下種の南無妙法蓮華経智慧の働きによるのである。】

今、日蓮等の類い、南無妙法蓮華経と唱え奉る者は、「山海慧自在通王仏」である。全く別のことではないのである。我ら行者以外に「阿難」はないのである。「阿難」とは(梵語で)歓喜という意味である。一念三千の開覚なり云々。【われわれが一念三千の当体である、仏であると開覚して、歓喜することをさすのである。】