御書大好き!!

御書を拝読して感動したことなどを書きます。

御義口伝 提婆達多品 第二~第四 全744頁 新1037頁

第二 「若不違我、当為宣説(もし我に違わずんば、当にために宣説すべし)」の事


  御義口伝に云わく、妙法蓮華経を宣説すること、汝は我に違わずして宣説すべしということなり。「若」の字は汝(なんじ)なり。天台云わく「法を受けて奉行す」。今、日蓮等の類い、南無妙法蓮華経と唱え奉る者は、日蓮に違わずして宣説(せんぜつ=法を説き弘めること)すべきである。「阿私仙人」とは、南無妙法蓮華経のことである。

 

<講義より>若不違我、当為宣説について

この文は極めて重要です。南無妙法蓮華経と唱える宗教はたくさんあるが、日蓮大聖人と同じように折伏して御本尊を弘めている宗教は創価学会しかないのです。

 


第三 「採菓汲水、拾薪設食(菓を採り水を汲み、薪を拾い食を設く)」の事


  御義口伝に云わく、「採菓(さいか)とは(菓=このみ)を採ること」とは、癡煩悩(ちぼんのう)をさす。「汲水(ぎゅうすい)」とは、貪煩悩(とんぼんのう)である。「拾薪(じゅうしん)」とは、瞋煩悩(じんぼんのう)をさす。「設食(せつじき)」とは、慢煩悩(まんぼんのう)である。この下に八種の給仕が説かれている。

この外に妙法蓮華経の伝受はないのである。今、日蓮等の類い、南無妙法蓮華経と唱え奉るは、即ち千歳(せんざいの間の)給仕にあたるのである。これ即ち一念三千であり、貪・瞋・癡・慢を対治するのである。

 


第四 「情存妙法故 身心無懈倦(情に妙法を存せるが故に、身心に懈倦無し)」の事


  御義口伝に云わく、「身心」の二字、色心は妙法なりと伝受するなり。日蓮等の類い、南無妙法蓮華経と唱え奉って即身成仏す。「身心無倦(しきしんむげけん)身心あくことなし)」とは、一念三千なり云々。

 

<感想>

『説明なくてもわかりますかね~、講義をどうまとめていいかわからんので、省略します、簡単なような難しいような・・・ちょっとだけ書いときますね↓(最後のところの講義になります)』

身心無懈倦の身心とは一念三千の一念であり、妙楽の言う「一身一念」にあたる。

懈倦とは三千の変化であり、妙楽のいう「法界にあまねし」にあたるのである。ゆえに身心無懈倦とは一念三千なのである。