ここは無量義処の四字のうち、処の字についての御義口伝です。
通解にある補足を( )で書き足しています。
第四 「処」の一字の事
御義口伝に云わく、「処」の一字は、法華経のことである。
(爾前の蔵通別円の四教を無量義に配すると、)三蔵教と通教とは(但空、不但空の理を説いているので、)「無」の字に摂め(包含され)、別教は「量」の字に摂め、円教は「義」の字に包含される。
この爾前の四教を所生と定め、さて序分のこの経(無量義経)を(それらの経々を生み出した)能生と定めたのである。
能生(生み出していく根源)をしばらく「処」と云い、所生(そこから生み出されたもの)を「無量義」と定めたのである。よって、(これは一往、)権教に相対して「無量義処」(の「処」)を沙汰する(論じた)ものである。(再往、そう正意は法華経にある。)
<講義>この段は、無量義の三字を迹門・本門・観心に配するのを終わって、無量義処について、処を法華経、無量義を爾前経として、権実相対を論じたところである。
法華経こそ大宇宙の一切法を誕生させていく根源の法であるがゆえに、処の一字は法華経であると。
蔵通の二教は空諦を説くがゆえに無量義の無におさまり、別教は菩薩の歴劫修行に事寄せて、縦に三世の生命の一分を説くがゆえに、量の一字に包含される。円教は一往、速疾頓成に通ずる法門を明かしているから、これは義の一字に包含されるのである。
以下の講義を略します。
参考732頁