御書大好き!!

御書を拝読して感動したことなどを書きます。

御義口伝 普賢品 第四 全786頁 新1093頁

第四 「一切業障海 皆従妄想生 若欲懺悔者 端坐思実相 衆罪如霜露 慧日能消除(一切の業障海は、皆妄想より生ず。もし懺悔せんと欲せば、端坐して実相を思え。衆罪は霜露のごとく、慧日は能く消除す)」の事

  御義口伝に云わく、「衆罪」とは、六根(目・耳・鼻・口・意)の所作において生ずる業障は、あたかも霜や露が降りるように生命に降りかかってくる。しかしながら、「慧日」によって(太陽が昇り、照り輝けば)、一切の業障は、たちまち霜や露のように消えてしまうのである。

「慧日」とは、末法当今、日蓮の弘むるところの南無妙法蓮華経である。

「慧日」は、仏に約し、法に約すことができる。人、すなわち仏に約した場合は、釈尊を慧日大聖尊というのがそれである。

法に約した場合、法華経を「又如日天子能除諸闇(また日天子は能く諸の闇を除くがごとし)」と、闇を除く太陽であると説かれている。

末法の導師を「如日月光明(日月の光明のごとし)」(神力品第二十一の文)等と説かれている。

 

<感想>

講義のところに、懺悔について書かれていました。キリスト教の懺悔をすっきり、コテンパンに破折されています。いいですね~。神でも仏でもない聖職者に告白したところで自分の罪が消えるわけではない。キリスト教の神が全知全能であるというなら、仲介者を通さなければ人の声が聞けないというのはおかしい。そんな道理は通らないと。

私はここで「裸の王様」の話を思い出してしまいました。男の子の言う通り王様は裸だったという話。キリスト教で説かれる神は、本当はいないのにあたかも天におるように信じ込ませるところが、詐欺師やんって思いますよね。

まだ、十界論で仏の命が我が生命にもあるんだと信じて祈る方が道理に適ってる。

仏法の懺悔は「端座して実相を思え」ということですから、これは御本尊に題目を唱えていけば、自分の汚い命も浄化されるというか、たくさん犯してきた衆罪をすべて消滅させることができるということです。

(御義口伝講義下巻 767頁768頁)