御書大好き!!

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御義口伝 別伝 信解品 全787頁 新1095頁

  信解品


一念三千
無上宝珠 不求自得 

 題目                           ホシイママニエタリ


 この文は、「無始の色心は、本よりこれ理性(りしょう)にして、妙境・妙智」なれば、己心より外に実相を求むべからず。いわゆる、南無妙法蓮華経は「不求自得(求めざるに自(おのずか)ら得たり)」なり。

 

<通解>

この経文の右(上)に註を附されていわく、無上の宝珠とは一念三千の法理の事である。この無上の宝珠を「求めざるに自ずから得たり」ーーー我々が求めずとも、自ら得ることができた、ということは我々の生命それ自体がすでに一念三千の当体であるとの意である。

さらに、この経文の左(下)に註を附されて、一重立ち入って論ぜられていわく、この無上の宝珠とは、三大秘法の題目、南無妙法蓮華経を意味し、しかも不求自得を「求めざるにほしいままに得たり」と読むのである。この御本尊を根本にしていくならば、無上の宝珠を自由自在に、事実の上に会得していくことができるとの意である。

次に、この文全体について説かれていく。これは無始色心本是理性妙境妙智なればーーー久遠元初以来、我らの色心即生命は、もともと妙法の本質であり、大宇宙の妙法即御本尊と境智冥合した不思議なる当体であるがゆえに、自身の一念のほかに、実相すなわち妙法を求めるべきではない。南無妙法蓮華経こそ、求めざるに自(おのずか)ら得たる実体なのである。

 

<語句>

無始色心とは、久遠元初以来永遠に続いている生命である。色心とは生命の義である。本是理性とはもともと妙法であるとの意である。

妙境妙智とは、大宇宙も不思議なる妙法の当体、自身もまた妙法の当体であり、境智不二であることをあらわす。

 

無始色心本是理性妙境妙智とは久遠元初以来、無始無終に続きゆく、この生命それ自体が、もともとの妙法の当体であることをいうのである。

 

<講義>

無上の宝珠とは御本尊のことである。これ以上の宝はない。世間的にどんなに貧しい人であっても、この無上の宝珠を持った人は、日本一、否、世界一の富める人なのである。「不求自得」とは実はこの無上の宝珠は無始以来わが胸中の肉団に秘し隠されていたのであり、求めずして自身の中にあることをいうのである。無上の宝珠は本来我々の生命の中に厳然としてある。だが、信心しなければ無上の宝珠を土中深く埋めてそれを知らざるが如く、無きに等しいのである。これを生活の中に自在に用いていくのは、ただ信力、行力以外にない。燃え上がるような信心をしている人の胸中には、大福運の星がキラキラと美しく清浄に輝いていることは絶対に間違いない。すなわち、妙法信受の人は胸中に大福運の星辰のまたたきを秘めた当体であり、やがてその輝きは、自身の生活の上に境遇の上に、燦然と光彩を放っていくことは必定である。(中略)

 

全部、自分自身に最もふさわしい方向へと落ち着いていくのである。落ち着いたところは自分が思ってもみなかった、それでいて、最も自分の心から満足しうる世界となっているのである。

 

事実、信心をまじめにやりきってきた人は皆、そのように自分の思っていた何十倍、何百倍の境遇で、個性を発揚し、持てる力を存分に発揮して活躍していることは、厳然たる実相であることをここに断言しておく。