御書大好き!!

御書を拝読して感動したことなどを書きます。

御義口伝 別伝 授記品 全788頁 新1096頁(分冊2巻)

   授記品

 

  十界実相の仏  三世常住      

 於諸仏所  常修梵行  

   煩悩即菩提・生死即涅槃

 於無量劫 奉持仏法
     一切の業障                   

(諸仏の所に於いて、常に梵行を修し、無量劫に於いて、仏法を奉持せん)

 
 この文に、「常」と云い、「無量劫」と云う。即ち本有所具の妙法なり。いわゆる南無妙法蓮華経なり。

 

<語句>

梵行:梵とは浄の義であり、仏の境地に立った慈悲の行為は梵行である。末法においては題目を唱え、折伏することが梵行である。

<通解>

授記品第六に「諸仏の所(みもと)に於いて、常に梵行を修し、無量劫に於て仏と法とを持ち奉る」とある。この文についての御義口伝です。この経文の左右に註を附されていわく、「諸仏」とは十界実相の仏、すなわち御本尊のことである。「常に梵行を修し」とは三世常住の意であり、また、本来所具の妙法を、この御本尊のもとにおいて、末法の梵行たる自行化他にわたる題目を唱えて開発していくことである。無量劫に於て仏と法とを持ち奉る」とは一切業障の身に仏と法とを持つことであり、煩悩即菩提、生死即涅槃をあらわすのである。経文全体の御義口伝にいわく、この文の中に、常といい、無量劫と説かれているが、これは、もともとそなわっているところの妙法を意味しているのである。すなわち南無妙法蓮華経が、その実体なのである。

<講義>

常に題目をあげ、折伏を行じていくことが大事であると述べられた御文です。たゆまず信心を貫くことが無量劫に仏と法とを持つことに通ずるのである。

思えば我らは無量劫より一切業障の身である。だが、さらに生命の究極をたずねていけば、実は永遠に無作三身如来と南無妙法蓮華経とを持った当体である。

したがって題目を唱え、折伏を行ずるとき、無量劫の一切の業障を開き、本有の仏界、本有の妙法を顕現するのである。したがって、この瞬間に無量の業障の闇を晴らしていくことになるのです。

 

<感想>

毎回御本尊の功徳はすごいんだと思って書いています。

自分の生命も、もともと如来のようにきれいなのかと思っていいのが、すごい。

自分は煩悩が多い汚い命の人間だと自覚しているので、

一切の業障が即菩提と開いていけることがすごい!

・・・だけど、題目が足らんと、自分はまだまだ闇が深いと思う今日この頃。

題目上がる日とあらがん日の落差。

魔につけこまれたときのひどい生命状態。

魔を追い返す題目必須。

毎日を楽しめる境涯にならねばいかん。