御書大好き!!

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御義口伝 別伝 化城喩品 全788頁 新1096頁

  化城喩品
 三千塵点
観彼久遠 猶如今日
 在世


 この文は、元初の一念一法界より外に、さらに六道四聖とて有るべからざるなり。いわゆる、南無妙法蓮華経は三世一念なり。「今日」とは、末法を指して「今日」と云うなり。

 

<通解>

化城喩品第七に「彼(か)の久遠を観るに、猶(けだ)し今日(こんにち)の如し」とある。この文についての御義口伝である。経文の左右に註を附し、まず、一往、文上迹門で論ぜられていわく、「彼の久遠を観るに」の彼とは釈迦在世であり、久遠とは三千塵点劫のことであり、釈迦在世から三千塵点劫を観たということである。

再往、この経文全体の御義口伝にいわく、この文は、生命の奥底の一念、その法界より外には、六道四聖すなわち十界も存在しない。いわゆる南無妙法蓮華経は三世にわたる永遠の生命、常住の生命、その生命の本質たる奥底の一念を説き尽くしたものである。また、経文中の今日とは末法をさして、今日と言ったのであり、久遠即末法を明かしたものである。

 

<講義>

ここは短い一節ではあるが、久遠即末法を説かれた重要なところである。日蓮大聖人の仏法においては、在世も今日も、末法のことであり、久遠とは久遠元初のことである。その久遠元初が今日の如しとは、まさしく久遠即末法のことである。文中「三世一念」とは、過去、現在、未来の三世は、現在の瞬間瞬間の一念の中に包含されることである。

三世諸仏総勘文抄(562頁)にいわく、「過去と未来と現在とは三なりと雖(いえど)も一念の心中の理(ことわり)なれば、無分別なり」と。過去、現在、未来と、一往区別はするが、生命の本源、奥底を論ずれば、一瞬に一切包含され、区別できぬと仰せである。この瞬間の生命には過去遠々劫、未来永遠をはらみ、また十界の働きも、因果も、三千万法ことごとく、ここに具すのであり、これ以外には絶対にありえぬ。(中略、814頁、815頁)

およそ久遠元初とは、宇宙生命の本源であり、奥底である。したがって、瞬間の生命の究極は、常に久遠元初である。久遠元初とは所詮、南無妙法蓮華経である。これこそ、大宇宙の変化の本源であり、一切を変え、一切を開き、一切を動かしていく究極の実体である。この宇宙の大生命(南無妙法蓮華経の御本尊)に境智冥合するとき、すでに発迹顕本し、久遠元初に立ち戻り、自身もまた妙法の当体として、一切を変え、動かしていけるのである。信心なき人は理の上では久遠即末法であるといえども、事の上では決して、久遠即末法の当体ではない。ただ、信心のみが久遠元初をあらわし、途中の一切の業障を振り払っていく、唯一の力であると訴えるものである。