人記品
一部 題目
安住於仏道 以求無上道
広・略 要
この文は、本来相即の三身の妙理を初めて覚知するを、「求無上道(無上道を求む)」とは云うなり。いわゆる南無妙法蓮華経なり。
<通解>
人気品第九に「仏法に安住して、もって無上道を求む」とある。この文の御義口伝です。註には「仏道に安住して」の仏道と、「以て無上の道を求め」の無上の道とを相対して論ずるならば、仏道とは法華経の一部八巻二十八品であり、無上の道とは題目である。すなわち仏道とは広略であり、無上の道とは寿量品の肝要たる南無妙法蓮華経である。また、読み方を更に掘り下げて「仏道に安住しても、以て無上の道を求めたり」と読むこともできる。すなわち仏道と言えば、釈迦仏法の範囲内では法華経が最高である。まず、そこに安住することが大切であるが、それにとどまらず、さらに無上の道、すなわち御本尊を求めていかなくては、真実の幸福はないと言われている。
この文全体についての御義口伝にいわく、この文は我々の生命に本来具わっている法報応の三身、すなわち無作三身如来を、初めて事実の上に生活の上に覚知していくことを、求無上道というのである。いわゆる御本尊を信ずることによって、初めて我が身が無作三身であると覚知することができるのである。
<語句>広略要について、
法華経の一部八巻二十八品を受持読誦するのを広といい、方便品第二、寿量品第十六等を受持し、ないし護持するのを略といい、題目ばかり唱え護持するのを要という。日蓮大聖人は広略を捨てて要をとられた。ここに要とは肝要であり、文底の異名である。
<講義>
無上道とは有上道に対し、これ以上の大哲理、これ以上の大功徳、これ以上の幸福はないとの意で、究極の無上道は御本尊である。さらに信心の上からいえば、一生成仏、広宣流布をめざし戦うことが、真実の求無上道であり、これ以上の偉大な人生はないということである。
常に慢心を起こさず、無上の道を求めて勇猛精進していくべきである。