一、方便品
御義口伝に云わく、この品には十如是を説く。この十如是とは十界なり。この「方便」とは十界三千なり。既に「妙法蓮華経」を頂くが故に、「十方仏土中 唯有一乗法(十方の仏土の中には、ただ一乗の法のみ有り)」なり。妙法の方便、蓮華の方便なれば、秘妙なり、清浄なり。妙法の五字は九識、方便は八識已下なり。九識は悟りなり、八識已下は迷いなり。「妙法蓮華経方便品」と題したれば、迷悟不二なり。森羅三千の諸法、この妙法蓮華経方便にあらずということなきなり。
「品」は「義類同」なり。「義」とは三千なり、「類」とは互具なり、「同」とは一念なり。この一念三千を指して「品」と云うなり。この一念三千を三仏合点したまえり。よって、品々に題せり。南無妙法蓮華経の信の一念より三千具足と聞こえたり云々。
<通解>
方便品第二は、十方仏土の中にはただ一仏乗の教法のみであることを説いたのである。すなわち、蔵・通・別の爾前経で三乗を説いてきたのを聞いて、ただ一仏乗を明かし、いわゆる開三顕一する。
この爾前において、三乗即一乗法であることを明かさなかったことを秘方といい、今初めて明かしたことを妙といい、妙を便と名付ける。これが方便品第二の名の由来であり、法用方便、能通方便とはまったく異なる秘妙方便なのである。
開三顕一に略広の二があり、略開三顕一は十如是の文であって、一念三千の法門は、これから出ているのである。
御義口伝には、次のように仰せである。
この品には十如是を説いている。この十如是とは一瞬の一念の働きに十種の範疇を立てたものであり、十界のそれぞれにあてはまるものである。また、方便品第二の方便とは十界三千を意味する。今、この題号を妙法蓮華経方便品第二という。十界三千のあらゆる衆生が妙法蓮華経を頂くとの意であり、十方仏土の中にただ一乗法のみあることを表しているのである。この方便は妙法の方便であり、蓮華の方便である。ゆえに秘妙すなわち爾前経では説かれなかった甚深の法門であり、仏のみが知るところの方便である。しかも蓮華のごとく、濁水にあっても染まらぬ、清浄無垢の方便なのである。
また、妙法蓮華経の五字は九識であり、方便とは八識以下を意味する。九識とは仏界の悟りであり、八識以下は九界の迷いの境涯である。さらに九識とは宇宙、生命の本質たる妙法蓮華経であり、八識以下は十界三千である。妙法蓮華経方便品第二と題したのは、迷悟不二、一念三千を表すのである。森羅三千の諸法、宇宙、生命のあらゆる現象は、この妙法蓮華経方便すなわち妙法蓮華経の一法より出た変化相に他ならないのである。所詮、御本尊の御姿である。
品とは、天台大師は義類同なりと釈している。これを観心より論ずると、義とは三千であり、類とは互具、同とは一念である。この一念三千をさして、品というのである。この一念三千の法理を、釈迦・多宝・分身の三仏が同時に定判されたので、二十八品おのおのに題されたのである。
これを信心に約するならば、南無妙法蓮華経の御本尊を信ずる、この一念によって、わが生命の仏界が湧現し、三千が具足する。このように聞くのを、方便品第二の深意を聞いた人ということができるのである。
(講義:御義口伝講義下923頁~928頁 まとめるのが難しいので省きます。)