御書大好き!!

御書を拝読して感動したことなどを書きます。

顕仏未来記 二回目ー⑥最終回です。 全509頁 新611頁

第7章 正しく広布の方軌を示す

<本文>

 日蓮この道理を覚知して既に二十一年になる。日ごとにお災いを受け、月ごとに難を蒙ってきた。この二、三年の間の事は、まさに死罪に及ぼうとするほどであった。今年今月、万が一も脱れ難き身命である。世の人、疑いがあるならば、詳しい法門については弟子にこれを問うがよい。

幸いなるかな、一生の内に無始の謗法を消滅せんことを。悦ばしいかな、いまだお会いできなかった教主釈尊にお仕え申し上げられるとは。
 願わくは、我を迫害した国主等を、最初にこれを導いてあげよう。我を助ける弟子等のことを、釈尊にこれを申しあげよう。我を生んでくださった父母等には、いまだ死せざる前にこの(南無妙法蓮華経の)大善をおすすめしよう。
 ただし、今、夢のごとく宝塔品の心を得ることができた。この経には「もし須弥山をつかんで、他方の無数の仏土に投げ置いても、いまだ難しいことではない。乃至もし仏滅して後、悪世の中において、能くこの経を説けば、これは則ち難しいことである」等とある。

伝教大師は法華秀句に次のように述べている。「浅きは易く深きは難しとは、釈迦の所判なり。浅きを去って深きに就(つ)くは、丈夫(じょうぶ=仏の十号の名の一つである調御丈夫=じょうごじょうぶのこと、つまり釈迦・仏を指す)の心なり。天台大師は釈迦に信順し法華宗を助けて中国に布教した。叡山の一家(伝教大師)は天台に相承し(法を伝承し)、法華宗を助けて日本に弘通したのである」と。

安州(安房の国)の日蓮は、恐らくは、(釈尊・天台・伝教の)三師に相承し、法華宗を助けて末法広宣流布するのである。三に一を加えて三国四師と名づける。南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経
  文永十年太歳癸酉後五月十一日    桑門日蓮これを記す。

 

<講義を読んだ感想など>

有名な御文が最後に出てきましたね。「浅きを去って深きにつくは丈夫の心なり」

大事な広宣流布という目的観に立てば、安易なことに流されない自分を築くことができると思う。弱い自分に打ち勝って、あえて苦難の道を選び、前進していくのが丈夫の心、すなわち勇気ある人だそうです。

 

仏法のために受けるいかなる大難も、ことごとくその本体は、我が身の罪業を消滅するための薬にほかならない、と講義にあります。無始以来の謗法の罪をこの一生の内に消滅できる仏法は、南無妙法蓮華経の御本尊へに信心しかありません。一生成仏、転重軽受の大仏法を受持しえたことこそ、それ自体すでに最高の幸福であると確信すべきである、とご指導されています。

8月号の大白蓮華94頁には、「御予言の実現は、後世の人間の決意と大確信と必死の行動が根本となります。御予言とは、弟子の自覚としては、そう「なる」のではなく、そう「する」ことではないでしょうか。そうでなければ、人間の戦いはなくなってしまいます。また、そのようにとらえて戦いを起こしたものにとっては、御予言は最大の確信となり、勇気となり、力となります」とありました。

また、同じく大白蓮華17頁には、今回の御書の「伝持の人無ければ、なお木石の衣鉢を帯持せるがごとし」のところが書かれてあり、どんな組織であれ、団体であれ、「伝持の人」すなわち「後継者」がいなければ滅び去ってしまう、とありました。

後継者がちゃんと信心していない場合も、祈り切っていけば、必ず成仏に導くことができると書かれていました。「父母の成仏は、即ち子の成仏なり。子の成仏は、即ち父母の成仏なり」(新1130頁・全813頁)(大白20頁)

 

先生の大好きな御書と言われる顕仏未来記を、全部載せることができてよかったです。

 

この第7章は顕仏未来記の締めくくりの章であり、感動的な章でありました。

立宗宣言から21年間、迫害につぐ迫害、死罪、流罪という生命の危険も乗り越えて、重要な法門を厳しい状況の中、佐渡で著されたということを忘れてはいけません。自分が大変な状況になったとき、大聖人の顕仏未来記を拝読し直して、奮起していこうと思いました。今日で顕仏未来記を終わりませす。読んでくださった方、ありがとうございました。

 

さて次は何の御書書こうかな・・・