第三章 仏言が虚妄との疑問を出す
<本文>
疑っていうには、今この国土に種々の災難が起こっているのを見聞すると、いわゆる、建長八年八月より正元二年二月に至るまで、大地震・非時の大風・大飢饉・大疫病等、種々の災難が連々として起こり今に絶えることがない。大体国土の人民がすべて亡くなりそうな気配である。これによって種々の祈請をなす人が多いといえども、その効力はないのであろうか。正直捨方便・多宝の証明・諸仏舌を出して嘘でないことを証明した法華経の文「百由旬の内に【もろもろの衰え患うことのないようにさせる】」や、双林最後の遺言の涅槃経で説かれた「その地は金剛である」の文、七難不起の仁王経の「千里の内に【七難が起こらないようにさせる】」の文、皆、虚妄に思えるがどうなんだ。
答えていう。今愚かな自分の頭でこれを考えてみると、上に挙げるところの諸大乗経は国土にある。それなのに祈請を叶えずして災難起こるとは、少しその理由があるのではないか。
いわゆる、金光明経に云わく「その国土において、この経有りといっても、いまだかつて流布せず、捨離の心を生じて聴聞することを願わず○我ら四【天】王○みな捨て去るであろう○その国に当に種々の災禍が起こるであろう」。大集経に云わく「もし国王有って、我が法の滅せんを見て、捨てて擁護せずんば○その国の内に三種の災難が起こるであろう」。仁王経に云わく「仏戒に依らない。これを破仏・破国の因縁とする○もし一切の聖人去らん時は、七難必ず起こるであろう」。
これらの文をもってこれを勘うるに、法華経等の諸大乗経、国中に在りといえども、一切の四衆、捨離の心を生じて、聴聞し供養する志を起こさないために、国中の守護の善神、一切の聖人はこの国を捨て去り、守護の善神・聖人等がいなくなったために起こっている災難なのである。
<講義より>
さて、ここから問答形式で論を進められている。災難が連続していると言われているように、当時の史料でも頻発していたことがわかる。
建長八年(1256年)八月に鎌倉を中心に大風・洪水・山崩れがあり、死者が多く出た。災害に際して多大の食糧が流出したという。そのほか飢饉のため各地に盗賊が横行したことが記録されている。また、同じころ伝染病である赤痢が流行した。正嘉元年(1257年)二月、京都に大地震が起きている。同じく大雨・洪水が起きている。鎌倉では六月、八月、十月、十一月に大地震があった。鎌倉・京都における災害はこのあとも続くので省きます。地方でもかなりの災害があり、当時は建築技術、灌漑技術、医療技術など現代とは比べ物にならないので、少しの災害でも多くの死者が出たので、「国中の大半が死んだ」という表現もあながち誇張とは言えない。いかなる祈祷も効き目がないと言われているように、幕府や朝廷が寺社に祈祷をさせていたこともわかる。一国が正法に背き、法華経以外の祈祷をしているから、善神はこの国を捨て去ったのだとの答え。さて、どこまで理解させることができるかな。