第五章 観心の意義を示す
<本文>
問うていう、(一念三千の法門の)出処(が摩訶止観の第五に説かれているということを)既にこれを聞く。観心の心(意義)はどうか。
答えていう、観心とは、我が己心を観じて十法界を見ることを観心というのである。譬えば、他人の六根を見るといえども、いまだ自面の六根を見なければ自具の六根を知ることはできない。明鏡に向かうの時、始めて自具の六根を見るようなものである。たとい諸経の中に所々に六道ならびに四聖を説いているといっても、法華経ならびに天台大師の述べられたところの摩訶止観等の明鏡を見なければ、自具の十界・百界千如・一念三千を知ることができないのである。
<講義のまとめ>
ひとことで講義をまとめると・・・・「末法においては御本尊を信じ、唱題することが勧心なのである。」ということです。簡単すぎましたか、ちょっと咳がひどくて、あんまり頭が働かないので、今日はここまでです。本文短いからもっと書こうと思いましたが、短い時は大きな顔で休ませてもらおう。(笑)