御書大好き!!

御書を拝読して感動したことなどを書きます。

観心本尊抄 ⑤ 全240頁 新125頁

第六章 十界互具の文を引く

<本文>

 問う。法華経はどのような文で、天台の釈はどうなってるんだ。
 答える。法華経第一の方便品に「衆生をして仏知見を開かしめんと欲す」とある。これは九界所具の仏界のことだ。寿量品には「このように我は成仏してから今まで、はなはだ大いに久遠という長い時を経た。寿命は無量阿僧祇劫にして、常住にして滅することがない。諸の善男子よ。我はもともと菩薩の修行をして、成就したところの寿命は、今なおいまだ尽きていない。また上の数(五百塵点劫)に倍している」等云々。この経文は仏界所具の九界をあらわしている。
 経には「提婆達多天王如来になる」とある。地獄界所具の仏界をあらわす。経には「十羅刹女の第一は藍婆と名づけ、乃至汝等はただ能く法華の名を持つ者を守護すると誓ったその福は無量である」と説かれている。これ餓鬼界所具の十界である。経には「竜女が等正覚を成ずる」とある。これは畜生界所具の十界である。

経には「婆稚阿修羅王が一偈一句を聞いて、阿耨多羅三藐三菩提を得る」とある。修羅界所具の十界である。

経には「もし人が、仏を供養せんがために形像を建立するならば、この人はすでに仏道を成就する」とある。これ人界所具の十界である。経に云わく「大梵天王乃至我らもまたこのように、必ず当に作仏するであろう」等云々。これ天界所具の十界である。

経には「舎利弗乃至華光如来」とある。これ声聞界所具の十界のことである。経には「その縁覚を求むる者、比丘、比丘尼が合掌し敬心をもって、具足の道を聞きたいと欲した」等云々。これ即ち縁覚界所具の十界である。経に云わく「地涌千界の菩薩は真浄の大法を得ようとした」とあり、これ即ち菩薩所具の十界のことである。経には「あるいは己身を説き、あるいは他身を説く」等と説いている。即ち仏界所具の十界のことである。

 

 

第七章 難信難解を示す

<本文>

 問う。自分や他人の六根は共にこれを見ることができるが、十界においてはいまだこれを見ることができない。どうやってこれを信じたらいいのか。
 答える。法華経法師品には「難信難解」と説かれ、宝塔品には「六難九易」とある。

天台大師がいうには「(法華経本門と迹門の)二門は、ことごとく四十四年の間に説いた権教とは相反するので、難信難解なのである」。章安大師云わく「仏これをもって大事とする。どうして解し易きわけがあろうか」等云々。

伝教大師云わく「この法華経は最もこれ難信難解である。随自意の故に」等云々。
 ほら、在世の正機は過去世の宿習が厚い上、教主釈尊・多宝仏・十方分身の諸仏、地涌千界、文殊弥勒等が、これをたすけて諫暁しようとしたのに、なお信じない者がいた。五千人の増上慢が席を去り、人界天界の衆生が他の国土へ移された。いわんや正像の時代にいたってもそうである。いかにいわんや末法の初めをや。汝これを信じられるとすれば、かえって正法ではないのである。