前回は身の病と心の病について書いていましたが、続きがあります。
講義録から大事だと思うところを写しておきます。
心の病の話です。
人間の心に渦巻いている三毒をはじめとする様々な煩悩によって心の世界の調和が乱れると、心病が発現してくるのである。もともと仏教医学はインド医学を母体にしており、身病の診察法や治療法は、インド医学を取り入れたものである。しかし、仏教を基盤にして心の病に取り組んだところに、仏教医学はインド医学の一支流ではなく、独自の医学体系を形成するに至ったのである。
本抄では病気を身心の二病に分けられているが、いかなる病気も身体面と心理面をもっているのであり、その中で病気を引き起こした原因が主として身体面に見出せる場合を身の病といい、主な原因が心の中の煩悩にあるケースを心の病というのである。(中略)
現代社会においては人間のストレスが強まり、心理的原因に基づく心身症、神経症、精神病等激増の傾向にある。ここに、心の病の治療に偉大な光明を投げかけた仏教が着目され、求められる所以がある。
心の領域は広大であり、仏法は、それが空間的にも宇宙の始源を包含していることを明らかにしている。ゆえに、このような心の領域に含まれる煩悩にも、重々に浅深・勝劣があり、生命の表層部に生起する浅く弱い煩悩もあれば、深層部から湧き起こる深く強烈な煩悩もある。仏教はそうした、人々の煩悩の浅深に応じて、浅い法から深い法へと、重々の法門を説いたのである。浅い煩悩ならば浅劣な法でも治療できるが、深い煩悩が生起すれば、勝れた法でなければ治すことはできないのである。
六道の凡夫の煩悩は、たとえば社会的、心理的ストレスによって起こる瞋恚や貪欲等の煩悩であり、これによる心の調和の乱れは心の深層部までは及んでいない。ゆえに、小乗のような劣った法であっても調整し快復させることができるのである。しかし、小乗教の浅く劣った教えに執着して大乗教に背くと、この心奥の煩悩が原因となって、六道の凡夫の心病よりも治療しがたい難病を生ずるのである。小乗教に執着する者に特有の心病は六道の凡夫とは比較にならない強い自我意識にとらわれた利己主義である。これによって出てくる三毒は、六道の凡夫よりも一段と強烈なものである。例えば、他者への瞋(いか)りは、心身症(皮膚病・胃腸障害等)をひきおこしやすい。六道の凡夫の心身症の基盤にある瞋りはまだ根が浅い。だが、小乗教にとらわれた者の起こす瞋りは、一段と根が深くなる。
この場合、六道の凡夫の心身症も、二乗の心身症も、病気としては同じ種類に属する。しかし、皮膚病を引き起こしている瞋りが、何を対象とし、生命のいかなる深さから出てきているかによって、その治癒の難易は全く違ってくるのである。小乗教に執着している二乗の心身症は、大乗教によって利己主義を打ち破り利他の精神に転換させない限り治すことはできない。もし、この病気に小乗を用いたならば、利己主義を助長し、その病状を悪化させるだけである。
次に、大乗仏教にも権大乗教と実大乗教がある。権教は、小乗教より一段深い生命の次元を説いているものの、まだ部分観を免れず、宇宙の源泉にまでは達していない。時間的にも、永劫の過去にはとうてい及ばない。実教である法華経のみが、空間的にも時間的にも生命の奥底を究め全体像をあますところなく説いているのである。
ゆえに、権大乗教を絶対と思い込んで法華経に敵対し、法華経に等しいとか勝れる等の邪見を起こせばきわめて深刻な諸病を誘発してしまうのである。部分による全体の混乱は、生命の底辺からの調和を極度の破壊に導くからである。
病気のところだけに絞ってスピンオフを書きました。
なんていうか、そうなんだ~って感じです。
皆さんはどう思いますか。