前に書きました義浄房御書の所で、「一心欲見仏 不自惜身命」のフレーズが三回繰り返されているのはなんでやろって思っていて、私なりの解釈を書いたりもしたのですが、今日朝の3時から起きて、最初50分ほど将棋を少々?!やって、うとっとしたので、さあ寝ようと思って横になったら、不思議に眠くなくて、こういう時は御書読んだらすぐ寝れる~と(笑)なんとふとどきな考え!これは冗談ですが、早朝4時という時間は、最近の私にとって御書を拝読したらすごく自分の中の清らかな生命にすーーーーっと入ってくることが多いので、むくっと起きて「開目抄講義」の続きを読んでいたのです。そしたら、「仏界即九界」「九界即仏界」がどうして本門の文底にならないと完璧な本因本果の十界互具、一念三千にならないのかということが詳しく書いてある所ですが、(ここも若干難しいので、またの機会に説明したいと思っています。)ここの後のほうに私が以前から疑問に思っていた箇所の問題解決の貴重な文章を見つけたのです。93頁5行目から写しておきます。
大聖人は「義浄房御書」で寿量品の「一心欲見仏 不自惜身命」の文によって、御自身の仏界を成就されたと仰せです。(全892頁)
そして、不自惜身命の信心とは妙法蓮華経への信であることを示されたうえで、「一心欲見仏」を「一心に仏を見る」「心を一にして仏を見る」そして「一心を見れば仏なり」と三回、転読されて、御自身の仏界成就を説明されています。
最初の二つは因で、信心の一心を表し、三つ目の「一心を見れば仏なり」は果で、仏界成就の一心を表していると拝することができる。
信心の一心に本因本果が成就するのです。(以下少しありますが省略します)
「一心欲見仏 不自惜身命」の三回書かれているところの意味、わかりましたか?
これでもわからん人は、これから題目を一心にあげるぞ、という自分が因で、題目をあげてる自分が仏やと(果)思ったらええんちゃう?って私は思いますね。前に書いたのと似てるかな。
池田先生がここに、開目抄の講義の中に書いてくださっていたとは、なんたる感激!
やっぱり朝4時の御書は意味深いものがあります。起きたときは是非御書を拝読したいものですが、これからの時期寒くなるから、できるかな~
以前に書いた義浄房御書のリンクです。まだ読まれてない方はこちらも読んでくださいね。
義浄房御書 大事な御書です! 全892頁 新1196頁 - 御書大好き!!