御書大好き!!

御書を拝読して感動したことなどを書きます。

開目抄 スピンオフ ①

今朝も5時前に目覚めて、5時から御書タイム。

とにかく今更ですが、開目抄ってこんなに感動する御書でした?

今日は池田先生の講義で大聖人の誓願の思いがすごく伝わってきて、泣きそうになってしまいました。

これ、是非研究発表なり幹部が座談会の指導の話の中で話すかしてほしい、と思うところ満載でした。

半世紀も信心してきた私は、女子部時代とかに学んだかもしれません。御書6回読んでるから絶対6回以上開目抄を拝読したはずです。しかし、最高の忘却力。何でも忘れる。怖いものなし。政治家か。記憶にございませんって平気でいう精神力。三徳ってなんや?って聞かれたら、五徳やったら知ってるけどな~ガスコンロに置くやつやろ、ってなりませんか?大丈夫か?主師親の三徳やで。主の徳、師の徳、親の徳、これ三つが全部具わってる人が仏です。

開目抄は冒頭の一節があまりにも有名。

「夫れ、一切衆生の尊敬すべき者三あり、いわゆる主師親これなり、また、習学すべき物三あり、いわゆる儒外内これなり」ここ、聞いたら思い出しますね。

最近、男子部も華陽会の女性部も学んでいるかもしれません。が、シニアはおそらくすっかり忘れてると思う。

今日ほど池田先生の講義を、覚えるくらい読みたいと思ったことはないです。早朝は邪念、雑念が入らんから、ほんま、すーーーーっと命に入ってきます。まあ、入ってすぐ抜けていきますけど。日中邪念の多い私やから、そう思うのかも。今朝は将棋しないで、すぐ開目抄読みましたよ。また、すごい講義がありそうで、楽しみに読んだらほんとありました。

今日読んだのは五重の相対(97頁)のところからでした。ここは学会員としてしっかりわかっておくべきところです。人に説明しやすい。折伏にも使えると思う。特に理論がわかればやるっていう男性にはいいと思う。女性は、人によるかな。理屈がわかれば、信心するよっていう女性あんまりおらなさそうか・・・女性は感情の生き物やから、体験聞いてピンときてやるわって言う人が多いかも。

 

さて、五重の相対のところでは、諸経の教えが説く「因果」の深さが、その教えの前提とする「悟りの法」の深さに関係しているから、五重の相対で低いものを排除していくと最後に残るのは法華経本門文底の一念三千になります。

だから南無妙法蓮華経は究極の「妙法」とそれに基づく因果である「蓮華」から成っており、この一語で究極の因果の法を表している。ゆえに一遍でも南無妙法蓮華経と唱えれば、その一念に成仏の因果が成就する。というのが最終的な五重の相対の結論です。

短いですが、結論だけ書きました。ほかの説明は省きますね。

 

さて、次の誓願のところでは、深い感動がありました。

我々、口先の誓願多いんです。その時はやる気であっても、だんだん決意や誓願をそっちのけで煩悩に振り回されてること多い、多すぎ。誓願どこ行った。

誓願を貫いてる人少ない。貫くのはほんま難しい。適当に貫いてる風が多い。世の中無駄に時間費やすこと多いから、皆そんな感じやから、誓願忘れてもしかたないやんって、思ってるのは私だけか。多少の誓願はあるんですよ。地涌の菩薩やから、折伏頑張らないとあかんってわかってる。でも、好きな将棋に時間使ってる(苦笑)・・・・反省。折伏したいけど、友達みんな幸福そうにしてるやん。私の方がお金ないし・・・あっちの方が幸せちゃうか?って思ったりしないですか?私は友達が皆幸せに見えて折伏する気が起こらん時があります。でも、本当の幸せは絶対的幸福境涯という仏になることしかないんですよ。だから、何があっても大丈夫と思うことのできる御本尊を受けさせてあげて、信心させてあげることが大事なんですね。それをやり遂げます。どんなに反対され、迫害や怨嫉にあっても、不軽菩薩のように折伏していきますって誓願を立てた人、本気で折伏に取り組んでいる人、そういう人が仏だそうです。仏は永遠に菩薩行をやり続けることができるそうです。こういう「最強の信念」を持ってるのが地涌の菩薩です。

大乗の菩薩は四弘誓願を立てることが根本条件だそうです。知らんがなって言わないでくださいよ。知ってるはず。聞いたことはあるでしょ。ないか、無い人もいるか。しかたない。書きますわ。

四弘誓願とは

①「衆生無辺誓願度」(一切衆生をすべて悟りの彼岸に渡すことを誓うこと)

②「煩悩無量誓願断」(一切の煩悩を断つと誓うこと)

③「法門無尽誓願知」(仏の教えをすべて学び知ると誓うこと)

④「仏道無上誓願上」(仏道において無上の悟りを成就すると誓うこと)

これ4つともするんか、というとそうでもない。①だけでもいいと思うし、①が一番大事。

我思うに個人の偉大な結果を師匠に報告してきた人たちは、師匠との誓願を忘れずに頑張った人達だ。千差万別ということば道理、同じ御本尊を拝んでいても、境涯と誓願と行動も全部違う。比べる必要は全然ないけど、それぞれの信心に見合った結果を出してるはず。心は仏で、行いは菩薩で頑張ることです。

 

(第六回の講義の最後のところです。133頁、まだ上巻の途中ですけど)

大聖人が生涯の壮絶な闘争を支えた原動力は、ひとえに誓願の力であったと拝することができる。誓願を貫くことによって仏の心と一体化し、生命の奥底から仏界の無限の力を湧現することができることを示し、教えてくださったのである。

濁世にあって、人間不信を助長させる魔の策謀を打ち破ることができるのは、万人救済を誓う「誓願」の力以外にありません。

 

誓願ってなかなかできるようで、できないと思うんです。頑張れない自分のときは無理に誓願することもない。誓願したけど、忘れてるときもある。また何度でも誓願すればいいと思う。私なんか若い時から何回も誓願した。頑張りたいときは師匠に誓いたいと思いますよね。そういう時は生命が上向きになってると思います。その状態で目標や誓願を書いて題目をあげるといいですよ。

励ましあって、誓願の人生を送れたらいいなと思います。